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20--  「最後のアメリカンドリーム」1644字 6-2009 モントレーの山奥から心の叫び 

島のキュラサ(美しさ)
島の味
友のハナサ(親しさ)に囲まれた徳坊
故郷、喜界島で15年
北新地、道頓堀
酒と女を友にして
赤い鉢巻、叩き売り
男前の徳さん
大阪たそがれ、15年
自給自足の生活に憧れ
南米パラグアイへ移民
1年分のトウモロコシの収穫一晩で盗まれ
1年半で、パラグアイ諦め、アメリカへ
ビール飲み過ぎ、身体障害者に
俺は悪くない、ビールが悪いんだと
アホな男 アメリカの大工の徳さん
死んでたまるかと
今度は物書き端くれフリムン徳さん
アメリカンドリームを胸に38年
喜界島、大阪、パラグアイ、アメリカ
変わった職業50以上
何とか生きてきたら
いつの間にやら私の人生65年
一番女にもてた大阪でなく
一番短かったパラグアイアでなく
一番長く住んだアメリカでなく
生まれ故郷の喜界島に
思いをはせる。

 徳さんへ
徳さんの心、揺れ動いているのやなー。
死んでしまえば、誰でもただカルシウムのくずになってしまうんだが、
そのカルシウム、どこに置いといても、かまわん、という気持にはなれへんもんねー。
カルシウムには、気持なんかあれへんだろうけど、今の気持が落ち着かんのや。
なんか寂しゅーて、寂しゅーて。 こころに平安がないのや。
でも、なー、徳さん、初美さんがいるよって、二人一心同体で考えんとアカンでー。   英助
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英助へ
二人一心同体、ようわかってまんがな!!
でもなあ、この頃NHKの故郷巡りや古い時代のテレビ番組を見るようになったら、日本には古いお寺、古い家、古い食べ物、古いお墓、古いしきたりがいっぱいある。
古いものには味がある、奥行きがある。
見ていて飽きない。
別嬪さんを眺め回すみたいに見続けられる。
アメリカにはそれが少ない。
使い捨てが多い。
「死んで何も残さず」が多い。
自分が死んでも両親の墓に入らない、夫婦だけの墓に入る。
1代限りの墓や。墓参りも、1年に1回行くか行かないかや。
アメリカ人はウヤフジをそう大事にしない。
キリスト様が大事や。
死んだら、ウヤフジとさいならや。
今からの時代、使い捨てやない、古い、ええものを大事に永く残さんとアカン。
そんなことを考えるようになったんや。
わいは長男やさかいに、「先祖代々の上園田家の墓」を、日本でもええ、アメリカでもええ、永く残したいのや。
名前やない、墓や。
もうすでに、シアトル、ブラッドレーの電話帳には「UESONODA」という名前が残っている。
アメリカに上園田というを歴史を刻んだ。
でも、なあ、英助、アメリカの電話帳や新聞に名前が残っていても、感動が少ないんじゃ。
喜界島で育ったワイはそうはいかん。
死んでもウヤフジや。
ウヤフジが肩に乗ってクヮンキャー(子供たち)を守っていてくれると思うから、ウヤフジは大事にしたい。
忘れたくない。
 そんなことをある人に話したら、こういって説明してくれた。
ウヤフジは第3次元の社会で、第4次元の社会にはもっと大きな偉い神様がいるそうな。
第4次元、そんなの、ワイには遠すぎる。
ワイを一番よく知っている第3次元のやウフジや。
ワイは10何年か前、シアトルのうっそうとした山の中で、古い、粗末なアメリカ人たちの墓を見つけたことがある。
丸い小石を小さな丸に並べただけの墓、古いセメントの小さな一欠けらのセメントに名前が書いてあるだけの墓、その中に、日本語の名前をローマ字で書いたセメントをひとつ見つけた。
日本語の書けないアメリカ人がローマ字で書いてくれたんや。
人間の友情、と墓について、心の底深く考えさせられたんや。
セメントの欠けらやない、墓や。
何やよう表現できない、わびしい、寂しい、もの悲しい気持ちになった。
永遠に忘れられん気持ちみたいなもんや。
「こんなアメリカの山の中に100年近くも前に日本人が住んでいたんか、」「でも、何の仕事をしていたんやろうか」
「淋しかったやろうなあ、よう、頑張ったなあ」そんな複雑な気持ちと、墓は淋しいところでも、どこにでも、あったほうがええなあと思った。
ワイは長男やさかいに、アメリカに住んでいても上園田家の墓の存続が気になってまんのや。  6-2009 フリムン徳さん

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