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26-‐フリムン柿8年 モントレーの山奥から心の叫び
犬が人を噛めばニュースにならないが、人が犬を噛めばニュースになる。
大工さんが自分の家を建ててもニュースにはならないが、なかなか完成しないと、ニュースになりそうでもある。
この大工さんの場合、完成させるのが長すぎたのである。
桃栗3年、柿8年、で実がなる。
大工の徳さんの家に8年で実がなった。
8年で家が完成したのである。
終に完成したのである。
人の家ばかりを建ててる大工が一生に一度は自分の手で自分の家を建ててみたい。
大工の夢をスタートして棟が上がった頃だった。
病に倒れ、身体障害者になった。
腕、足、腰の力をなくし、歩くのもヤット、だった。
それだけやない、収入も身体障害者年金の月700ドルとやっと生活出来るだけの収入になった。
諦めるわけにはいかん。大工さんが千ドルで買ったおんぼろのキャンピングカーに死ぬまで住むには面子がたたん。
31歳まで大阪で商売人をしていた私は金儲けに飽きて、南米のパラグアイのジャングルで自給自足の生活を夢見て移民したが、1年半で失敗した。
アメリカのロスへ来たが、英語がわからん。
何でも屋をしながら、見よう見真似で覚えた自分の大工の技術の集大成として、自分の家を自分の好みに合わせて建ててみたかった。
これが26年間アメリカで大工をした私の夢になった。
一方、大工が他人の家を建てるのは当たり前やけど、大工が自分の家を自分で建てるのは、なんや、もの足りんような気持ちもするもんです。
自分の家は建ててもお金がもらえん。
レストランのクックさんは自分の家ではクックしない人が多いと聞く。
ほんま、それと似たようなもんかもしれん。
8年もかかったんはこんな訳がおまんねん、まあ、聞いとくんなはれ。
ここモントレー・ブラッドレーの山の中(ロスとサンフランシスコのほぼ中間)に〈28エーカー〉3万4千坪の土地を7万5千ドルで15年払いの月賦で買ったんが19年前やった。
井戸屋さんに井戸を掘ってもらい、見晴らしのええ山の中腹をブルドーザーで削り、整地してもらったんが8年前。
それから仕事の合間にこつこつと家造りを始めましたんや。
電柱を買ってきて自分で穴を掘って電柱を立て、電気のメーターボックスの配線も自分でやりましたんや。
フリムン徳さんの人生で、いろんな買い物をしたが、あんな高い木、いや、長い木、電柱を買うことは人生計画に入っていなかった。
コンクリートの基礎工事、家の骨組み、電気配線、水道、下水配管工事、内装、外壁のモルタル工事、ペイント、床張り、なんでも自分でやりましたんや。
家の建築中は住む家がないさかいに、千ドルで買ったおんぼろのトレーラー(キャンピングカー)で生活しながら8年間頑張りましたんや。
このトレーラーには助けられた。何しろ、毎月の家賃がいらん、これは大きかった。
無理して働いたらアカン。建築開始4年を過ぎた頃、足が象の足のように腫れて歩けなくなってしもうた。
徳さん、酒の飲みすぎや。
何日経ってもよくならない、ついに決心して医者へ行った。
その場で、「働いたら、アカン」とドクターストップがかかった。
血圧222、心臓肥大、関節炎、痛風で即強制入院させられた。
さっぱりわやや。
身体障害者に認定されてしもうたんや。
今までの収入の1/5か1/4の身体障害者年金をもらうベッドの上での生活が始まった。
身体障害者で、有り金ゼロ、家の建築はストップや。
ワイの夢の家も未完成のままで、俺の人生も終わりか。
人生諦めの心境やった。
難儀やのうである。
落ち込んで悶々としていると、「ここらで体を休め、もうこれ以上のどん底はない、これからは這い上がるばかりだ」と、ウヤフジ(ご先祖)が教えているのやと思えてきた。
こんな一大事の時にはいつも故郷、喜界島のウヤフジが私を助けてくれるんや。
「大工仕事ができなくてもベッドの上でできることがある」と、一生に一度あるかないかの「フリムン徳さんの波瀾万丈記(文芸社)」を書かせたのもウヤフジや。
家よりも本が先に完成してもうた。
「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を書いているうちに、発見したことがあった。
それは数え切れないほどの職業を変えたのに、私は1度も諦めたことがないということだった。
職業を変える度に、もりもりとファイトが沸いてきた。
私は諦めるという言葉を知らなかったようである。
そうや、私の本の副題どおり人生「諦めたらアカンネン」や。
よっしゃ、この夢の家も何年かかってもええ、どないにかして完成させたると決心しましたんや。
これはベッドの上で本を書き上げた大きな副産物やった。
金のない身体障害者は家を建てるのにも人を雇う金がない。
二人でやる仕事も一人でやらなければならない。
一人でやるにも以前の大工の腕力や足腰の力を失っている。
頭を使って、力を使わないようにしなければならない。
人を使わず、金を使わず、力を使わず、楽に独りでできるように深く深く考えた。
頭は使ったらいくらでもええ知恵が湧くこともわかった。
たとえば、地中を通す電気ワイヤの溝(幅40センチ、深さ60センチ)を掘るのでも、椅子に座って、日傘を差しながら、掘った。
力をなくし、ツルハシやスコップが使えなかったので、ホースの水の水圧を利用して掘った。
水は自分の井戸から出る水でいくら使ってもただやから助かった。
一番の自慢は、日本の藁床(わらどこ)の畳よりも重たい、そしてサイズも畳より一回りも大きい((4フィートx8フィート))防火性の天井板ドライウォール(およそ50枚)を一人でらくらくと高い天井に張り付けたことです。
この重たくて大きな天井板を天井に張るには身体の大きい頑強なアメリカ人も一人ではできない。
どうしても二人いる。
アメリカ人の友人のバブと二人で知恵を出し合って、この天井板を張り付ける機械を作ったんや。
蜘蛛みたいに天井にぴったりとくっ付いて作業できるから、名づけて「スパイダーマン」。
「この天井板(ドライウォール)を私一人で張ったんや」と言うと誰もが疑いの目で見る。
目の前で実–際に「スパイダーマン」を使って張って見せると、目を丸くして「特許をとって儲けたらいい」と言う。
身体障害者になって頭を使うこと、文章の書き方勉強をして、深く考えることを学んだ。
深く考えることで、体を使わない、力を使わない、金を使わない、すばらしい知恵が湧く。
とうとうフリムン徳さんは皆さんの善意のお陰とウヤフジのお陰で諦めずに8年かけて夢の家を完成しました。
8年間でつぎ込んだ材料費が約3万ドル、火災保険屋さんに家の値打ちを聞いたら、約29万ドル。
無駄使いの多いワイには3万ドルという貯金は何年経ってもできなかったと思う。
でも8年間で少しずつ材料を買った金は合計すると3万ドル貯まったことになる。
貯金というのは難しいけど、物を買って残すというのはできまんねんなあ。貯金は貯まってもおろして使うからなかなか貯まらん、ところが買ったモンは残る。
その買い物を何にするかが人生を変えることにもなりそうです。
これが大事でんなあ。
3万ドル(330万円)の柿の木を植えて8年後に29万ドル(3千万円)の柿がなりました。
人生、少しずつを馬鹿にしてはあきまへ、諦めてもあきまへん。少しずつ少しずつは8年間で大きな家になりました。
リル、バイ、リル、メイクス、ビッグ(Little by Little makes BIGs)。
病気になっても、金がなくなっても、仕事がなくなっても諦めたら、アカンネン、皆さんが助けてくれる、ウヤフジ(ご先祖様)が助けてくれる。