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47-- 「愛の塩」  2738字     モントレーの山奥から心


”デスバレー”、日本語で言うと、”死の平原”。
このバレーの名前が気になっていた。
私の出版した本の応援団の一人、井手尾さんと知り合いになり、彼の口からこのバレーの名前をよく耳にするようになった。
”デスバレー”、私は死のバレーと解釈していたから、聞いてもあまりええ気持ちがしなかった。
ラスベガスから車でおよそ2時間のところにある暑い砂漠で、昔、金鉱を求めて行った人達があまりの暑さにバタバタと倒れて死んでいったと、いう話を聞いたことがある。
そんなところだから、自分で車を運転して行って、もし途中で車がオーバーヒートでもしたら、大変な事になると思って、行く気にはならなかった。 ところが井手尾さんはこのデスバレーが好きで、20数回も1人でキャンプに行っていると言う。
ロスから車で9時間前後と遠い。
もちろん夏は暑すぎて行けないから、彼の冬場のキャンプ場である。
緑のない、色とりどりの鉱石の禿山と塩の砂漠のデスバレーは静かで心が落ち着くと言う。
彼はキャンプが好きである。
月曜日から木曜日の4日間はガーデなの仕事(庭師)をし、金曜日、土曜日、日曜日のほとんどはキャンプに行っている。
私は彼と一緒に、12月31日の年越しと1月元旦の初日の出をデスバレーで拝むことになった。
私の嫁はんも加わって、井手尾さん、私3人で行くことになった。
寒い冬はたいていのキャンプ場が閉まっている。
暖かいデスバレーのキャンプ場は混むということで6ヶ月前にインターネットで予約して場所を取ってくれた。
テント、寝袋、鍋、釜、ビール、酒、焼酎、そして井手尾さんのJALのマイレッジでもらった、おせち料理、年越しそば、雑煮用のお餅を満載して3人が乗った井手尾さんのバンがデスバレーに着いたのは昼過ぎだった。
見渡す限り高い禿げた鉱石の岩山に囲まれた砂漠の中に小さな緑の固まりがあった。
これが私たちがキャンプするところだ。
小さなゴルフ場までもある。
テレビ番組のウルルン滞在記のサハラ砂漠のオアシスを思い出した。
暑いところで住むには始めに木を植えて陰を作る、人間が作ったオアシスに違いない。
私たちが住んでいる暑い山の砂漠といわれるブラッドレーでも土地を買ったらすぐに木を植える。
この広い砂漠は私の故郷周囲45キロメートルの喜界島がいくつでも入るような広い広い盆地になっている。
月の表面もこんな感じだろうなあと思いながら井手尾さんの運転する車の中から眺めていると、この砂漠の盆地はだんだん湖のように光っているところが多くなってきた。
白い塩が太陽光線で光って、水のようにも凍った氷のようにも見える。
大昔に海底が盛り上って、このデスバレーが出来たと説明してくれる。
彼は人一倍本を読んでいるから物知りだ。
ガイドさんになったらいいと思うほど、カリフォニアの山やキャンプ場を知っている。
高い山々に囲まれたカリフォニアの砂漠の中に海より低いところがある。
周りの高い岩石の山々に囲まれたこの塩の砂漠は海面下85メートルと言う。砂漠にそびえる山の側面に85という数字の看板が見える。
塩の砂漠だから、ここに大量の水を溜めたら、陸地の海になるなあと、このフリムン徳さんは考えたりもした。
地球の不思議さに圧倒されるだけだった。
行けども行けども高い岩石の禿山と白い塩の湖だ。
アーティストドライブと名付けられた道を行くと、色とりどりの鉱石の山が目の前に現れる。
七色の虹ではない、七色の岩山である。
思わずカメラのシャッターを押さざるをえない。
この山の名前が”パレット”。
絵の具のパレットを思い出す。
確かに鉱山全体が色とりどりの絵の具のパレットに見える。山とは木が生えて緑のある山ばかりが人間の心に自然を感じさせるのではないのだ。
木がなくて、緑がなくて、岩石だらけの禿山も人間に自然を感じさせるのだ。
大発見だった。
草や木の生えている緑の山は動で、木の生えていない、緑のない、鉱石、岩石の禿山は静のように感じた。
この岩石の高い禿山を見ていると、何かが私の身体から消えていくような感じがした。
何であるかなかなか思いつかなかったが、デスバレーを離れて緑の山を見た時にやっと思いついた。
それはある言葉だったような気がした。
そうだ「怒る、腹を立てる」と言う言葉が私の身体の中から消えていたように思えた。
周りが高い岩石の山々に囲まれた広い砂漠の真中に立つと自然の不思議さや大きさに圧倒されて、人間は自分を小さく感じるからだろうか。
いつのまにか、真っ白い氷の海が一望に見渡せるビューポイントに着いた。またしてもウルルン体在記の北極海の氷の海を思い出した。
白い塩なのに写真に撮ったら、まさしく氷のように見える。
パーキングに車を停めて白い塩の海を散歩することにした。
階段を下りて木のデッキを歩いて私だけが気が付いたに違いないと悦にいったことがある。
元大工だからだ。
デッキの板を留めてあるボルト、螺子が塩で錆びないステンレス製なのだ。大工の私はそれを皆に自慢してうれしがった。
塩の上じゃなくて氷の上を歩くみたいだ。
だが、こんな山奥の砂漠に海でできる塩があるのだ。
動物が生きていく上にどうしてもなくてはならない塩、料理屋さんが店の前に盛り塩に使う塩、また身を清める塩なのだ。
舐めてみたらやはり辛かった。
 インターネットで塩について面白い話を見つけた。
昔々、中国の王様が牛に乗って、町中の綺麗な女の家々を回っていた。
女達は王様に自分の家に入ってもらうためにあらゆる知恵を絞って競争した。
ところがいつも一人の女が王様の愛を独り占めにした。
牛が必ずその女の家で止まるのだ。
理由は家の前に牛の好きな塩を盛り塩してあった。
塩で身を清める話は沢山見つけたが、どうして身を清める為に塩を使うようになったかは探せなく、2、3の人に聞いてもわからん。TVファン誌の社長に聞くと西本願寺か東本願寺のお坊さんに聞くとわかるはずだと言う。
話したこともない人に電話で「どうして身を清めるために塩を使うのですか」と聞くのも恥ずかしい気がしたので物知りの00さんに聞いてみた。
私は彼の考えに賛成することにした。
「塩は殺菌力が強いから、物を清めるために一番じゃないか」と思うと。
誰かほんとの謂れを知っていたら教えてください。
 この身を清める塩を清めるために、わざわざロサンゼルスから一升の酒をデスバレーまで持ってきて、酒でデスバレーの塩を清めた人がいる。
これは深い訳のある親子の愛情物語である。
この本人が井手尾さんである。
彼は10数年前に日本からきた母親をこのデスバレーに見物に連れてきた。
近くにトイレも何もなかった当時、母親が小さいのをもよおした。
仕方がないので車の陰で、この清めの塩の上で済ませてしまった。
日本の母親はそれ以来ちょっとした病気になると、このことを気にしたらしい。
10年前になくなったこの母親の気がかりが気になり、彼はとうとう友達と二人でこのデスバレーの母親のした同じ場所にロスアンゼルスからわざわざもってきた一升瓶の酒で清めの塩を清めた。
私はこの話を聞いて、胸がジーンとして、井手尾さんにまたしても惚れてしもうた。
清める塩を清めるのはフリムン徳さんの好きな酒であった。

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