
83--「同伴出勤」1870字 1-19-2006 モントレーの山奥から心の叫けび
「今日は華の金曜日や、月曜日から、今日まで、よう頑張った、明日は土曜日、1日働けば、明後日は日曜日、今日は思い切り飲もう」。
「土曜日は二日酔いで働いてもエエやないか、次の日は朝から寝れるがな」。
私が大阪で働いていた頃は月曜日から土曜日まで仕事、休みは日曜日だけだった。
酒好きには土曜日まで待てない。
金曜日が前倒しの土曜日みたいであった。
誰が名づけたのか、華の金曜日。
酒好きには、当時の華の金曜日は祝祭日以上に楽しい日であった。
商売していて、少し儲かっていたフリムン徳さんには、華の金曜日にはよく別嬪さんから電話があった。
「徳さん、今日、少し頼みがあんねけど、ちょっとだけ、仕事が終わってから、会うてくれへん?」優しい、なまめかしい声で、こんな電話がかかってくるのはたいてい金曜日の昼過ぎが多かった。
ちょっとだけが朝までになるのはわかっているが。
この声を聞くと私の鼻の穴がムズムズしてくる。
キメ子の香水の匂いがプーンと匂う様な気がする。
華の金曜日ではなく、鼻の金曜日である。
もう、着物姿のキメ子と手を組んで店へ同伴出勤している姿を思い浮かべている。
当時、キメ子は大阪北新地の“クラブ もえ”で働いていた。
彼女の 透き通るような白い肌色は目立っていた。
白肌に、ぽちゃぽちゃした顔立ち、青空に真っ白いうろこ雲がひとつだけ、ぽつんと浮かんでいるような明るい笑顔。
私はキメ子が好きだった。彼女は私の仕事の疲れも悩みも私から吸い取ってくれるみたいだった。
吸い取るという言葉は意味が深い。私は彼女の白い肌を吸い取りたいのに、彼女は目に見えない私の疲れや悩みを吸い取ってくれる。
今、私がアメリカに住んで、買い物に行く隣町パソロブレスのウォールマートで、白人の白い肌に引かれるのはキメ子を思い出すためかもしれない。
「徳さん、もう歳やろう、おなごはん、眺めるのもエエ加減にしいや」。
キメ子は店に遅刻しそうになる日や金曜日に、「徳さん、同伴出勤してーよ」じゃなく、「徳さん、同伴出勤してくれへん」と鼻にかかった優しい、何かを求めているような電話がかかってくる。
私は、「してーよ」じゃなく、「してくれへん」に負ける。
「してくれへん」にはキメ子の遠慮が入っている、思慮深さが入っている、相手の立場を考えて、もの事を頼む気持ちが入っている。
私はキメ子の「してくれへん」と言う言葉使いに惚れて、ノーと言えなかった。
「お客と同伴出勤をすると遅刻してもいい」という世にもまれな規則が当時の水商売の社会にはあった。
同伴出勤の夜は店の閉店まで粘り、キメ子のマンションまで「同伴退社」が多かった。
でも、キメ子はほとんど、私を部屋に入れてくれなかった。
「徳さん、今日は華の金曜日、ハゲが来るかもしれへん、堪忍なあ」で、酒ではなく、涙を呑まされた。
高級クラブのホステスさんの多くは二号さんが多かった 。
そして又、二号さんを持っている男はんはたいてい頭は禿げてピカピカ、もちろん履いている靴もピカピカの高級皮靴である。
彼女たちは旦那のことをハゲと呼んでいた。
特に、小さな店の商売人の親父さん、会社の社長さん、重役さん、お医者さん、ヤクザの組長さんが多かった。
お寺の坊さんも結構いた。
皆さん、職業に関わらず、助ベーさんに違いない。
特に、医者は外科医さんが多いという。
なぜか?
外科医は手術が多いので血を見る日が多い。
血を見る手術の日はどうしてもクラブへ行きたくなるらしい。
別嬪さんと、差しつ、差されつして、手術の血で汚れた手ではない、心と目を洗い清めるのである。
「世間では水商売のホステスは、見下げられているが、会社の偉い社長さん、偉いお医者さん、偉い坊さんのりっぱな慰め役の職業ではないか」と言った、四国の田舎のおばあちゃんの言葉が今でも忘れられない。
大阪のマンションに住んで、クラブのホステスをしている娘を四国から見に来たおばあちゃんである。
「徳さん、今日少し頼みがあんねけど、ちょっとだけ、仕事が終わってから、会うてくれへん?」
「徳さん、今日遅刻しそうなの、同伴出勤してくれへん?」
店では、「徳さん、よう、来てくれはった、うれしいわ、おおきに、おおきに!!」。
同伴出勤させられて、同伴退社させられて、マンションまで送って、マンションの入り口で、「徳さん、今晩、華の金曜日、ハゲが来るかもしれへん、堪忍なあ」でだまされる徳さんであった。
やはり、私は根っからのフリムン(アホ)である。
フリムン徳さんである。