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90--「皿洗い」1087字 9-24-2009  モントレーの山奥から心の叫び

あの言葉を実行し続けてきた喜界島の男も病気には勝てなかった。                   59歳に、病気で倒れて、仕事が出来なくなり、身体障害社年金生活するようになったら、収入が大工さん時代の4分の1か5分の1に減った。             生活するのに精一杯である。                     嫁はんが働き出した。                        それまでは共働きが普通のアメリカで、「子供を育てるのが嫁はんの仕事、嫁はんは子どもが高校を卒業するまでは仕事はさせない」を通してきた。
故郷、喜界島のオメトおばあさんは”男は台所に入るな”と言っていた。
「何でワイが、こんなことせんならんのや」。
こんなこと嫁はんのする仕事に決まっているがな。
その私の仕事が皿洗いになった。
自分でも驚いている。
「あの亭主関白の徳さんが」と周りの人はびっくりするに違いない。
皿洗いをしているうちに、皿を洗うだけではないということがわかってきた。
ステンレス製のシンクも、皿を洗った後に洗わなければならないのである。
特にシンクの四隅の脂っこい汚れを拭きとって綺麗にしないと気がすまなくなった。
皿を洗い、シンクをピカピカにして、初めて皿洗いが終わるのである。
 洗っている時に不意と思う時がある。                思い切り手に力を入れて、7回から8回の速さで重たいハンマーを振り上げ、材木の2x4(トゥーバイフォー)に5寸釘を打っていた、あの大工の時の心意気と、皿を洗う時の心意気の違いである。                アメリカのフレイマー(骨組み大工さん)はだいたい3回か4回で、5寸釘をツーバイフォーに打ち付けるのがプロといわれる。            私は7、8回かかったが。                       よくテレビの番組で見る皿洗いの場面には程遠い。           そうやなア、ネクタイを締め、背広を着たまま、紳士が大工をしている場面も想像したくなる。                         皿を洗いながら、自分の手に持っている皿が、5寸釘のようにハンマーで叩かれて、バラバラに割れるのを想像して、おもわず、ヒヤッとする時もあった。
 洗った皿をかごに入れる時は少しだけ、考える。
シンクの右横においてあるあの小さなかごに、平べったい大きな皿、茶碗、コップ、お椀、等をまとめて、縦に並べるか、横に並べるか、考える。
終いには縦に並べる事にした。
その方が、後でとり易いからである。
慣れたら、皿が割れるんじゃないかという心配もなくなってきた。
これで、一人前の皿洗いになったと、1人で少しだけ喜んだ。
 病気が人生を変えた。
私が家におり、嫁はんが外に仕事に出で、家に帰ってくる。
今までのまったく逆になった。
嫁はんが仕事から帰った時が一番惨めな思いをする。
帰ってくる頃、仕事らしきことをしていれば、惨めな思いも小さいが、テレビを見ていた時などは惨めになる。
自分の身体も心も、あの小さな嫁はんより小さくなっているように感じる。
 何かをやるフリをしなければならない。
そんな時思いついたのが皿洗いである。
2年前に日本に帰って、従兄弟の息子夫婦の生活に驚いた。
嫁はんが料理をつくっている、その傍で旦那が皿を洗っている。
「台所の仕事は嫁はんの仕事でなないのか」と聞いたら、「男も女も平等です」と二人から、喜界島のオメトおばあさんが驚くような言葉が返ってきた。
今の日本の若者はアメリカと同じように男も女も平等だということ実践していた。
従兄弟の息子夫婦のことを思い出しながら、今私は皿洗いに精を出している。                                ひとつ、おいしい発見をしたことがある。
料理はプラスティックや、紙皿で食べるのはおいしくない。
割らないように気を使いながら、洗う重みのある陶器(瀬戸物)で食べるのがおいしいに違いないと。
アメリカ人にはない日本の言葉、”料理は器でも食べる”器は立派な芸術品でもある。  
9-24-2008 フリムン徳さん

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