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58--  「一人寝の子守唄」2311 字  モントレーの山奥から心の叫び


「徳さん、あと1週間でんなあ。
何がやって? 決まっているやおまへんか。
社長さん(嫁はん)、早よう、帰って来はったらええなあ~」。
先週の『気まぐれ歌の旅』(サンフランシスコラジオ毎日放送)で二川さんが、ひとり身の徳さんに「一人寝の子守唄」をプレゼントしてくれた。 一人アメリカに取り残された徳さんは一人身の生活に寂しい、悲しい思いで難儀していた。
まず苦労したのは、料理の献立である。
「今日は何を食べようか」、カレーライスにするか、インスタントラーメンにするか、残りご飯をマイクロオーブンでチンして、梅干しで食べるか。
アメリカのマーケットで売っているハンバーガーやスパゲティーなど洋食のインスタント料理はこの数年食べたくなくなった。
「年をとると昔の食べ物に戻る」、本当のようである。
「今日は何を食べようか」と嫁はんが友達との電話の中で話していた言葉が、蘇ってきた。
女の人達の料理の献立を考える苦労を考えたこともなかった。
徳さんの作れる5つ6つほどのレシピで1ヶ月の料理の献立を考えるのは、エッセーのネタを探すように難しいと思った。
他人の嫁はんには口に出して言えるが、自分の嫁はんには口に出して言いにくいこの言葉、“嫁はんという職業はえらい”。
難儀な言葉でんなあ。
それと、ひとりで食べる料理のなんと味気ないこと、まずいこと。
お腹がすいていても美味くない。
気の合った者と一緒に食べるうれしさが、料理をおいしくすることが身に沁みてわかった。
残りご飯をマイクロオーブンで3分ほどチンして、テレビを見ながらの一人での食事。
信じられないくらいおいしくない。
そんな時にNHKのテレビの番組が変わった。
「お一人様の幸せ食事」と画面に書いてある。
「何がお一人様の幸せ食事」や、腹が立ち、泣きとうなってきた。
テレビまでが徳さんをいじめているようだ。
これは「たまには嫁はんの苦労も考えて、大事にしなさい」というウヤフジ(ご先祖様)のお告げのようにも思えた。
 嫁はんは10月初めに、日本へ帰って、もう3週間が経つ。
あと1週間でアメリカのわが家に戻ってくる。
還暦の祝いのために喜界島へ帰っている。
還暦になったら、喜界島にある3つの中学校の同級生は世界中どこに散らばっていても一堂にはせ参じる。
ただの集まりとちゃいまっせー、『はせ参じでっせー』。
喜界島で還暦祝いをするのが慣わしとなっている。
それは毎年の喜界島の一大行事にもなっている。
ヤマトから古里帰りした還暦の同級生が喜界島を潤わす日でもある。
それが、そんじょそこらの祝いではない。
もうこれは祭り以上にうきうきし、興奮する『感激物語を創る』日である。
喜界島の中学校を卒業して東京、大阪、外国へと飛び立ち、離れ離れになった同級生と20年ぶり、30年ぶり、40年ぶりに会って、涙を流しながら、島ユミタ(喜界島方言)で語り合い、抱き合う日なのである。
『気まぐれ歌の旅』の二川さん! 飼い猫のフリムン太郎を無理やり抱いて寝るが、逃げられてばかりだった。
猫を抱いて寝る徳さんを想像してみなはれ。
「あっ、徳さんが猫を抱いて死にかけている?」、「かわいそうやなあ!!」でっせー。
そんな時の「ひとり寝の子守唄」のプレゼントは極上の慰めでした。
二川さん、おおきに、おおきに、有難うございます。
うれしかったです。
 選曲もよかったですが、二川さんの人情に惚れました。
鶴田浩二、高倉健、映画の「義理と人情」がまだアメリカには生きています。
飲み友達はほんまにええなあ、とつくづく思いました。
また近いうちに泊りがけで飲みに行きます。
また放送の中で我が愛する故郷の喜界島という言葉が流れた時、喜界島の懐かしい風景が目に浮かびました。
「この懐かしい喜界島の風景の中に、今、ワイの嫁はんはいてまんね」。サンフランシスコ、サンノゼ方面の何千人の人が聞いているラジオ放送でのプレゼント、「元酔っ払いの大工のフリムン徳さん」にはもったいないほどうれしいことです。
これで徳さんは喜界島の宣伝係長に立候補できるかもわかりません。
 二川さんの人情も身に沁みましたが、もうひとつ身に沁みたものがある。
いつも何かと文句を言っている嫁はんがいない、ぼやいている嫁はんがいない、キッチンで何やガチャガチャと音を立てている嫁はんがいない、掃除機の音を立てている嫁はんがいない、どこかで音を立てている嫁はんがいない。
うるさくなくてよさそうにも思えたが、ただ静かで、時間だけが空しく過ぎていくようで、過ぎていかない家は、寂しくて落ち着かない。
嫁はんが作る雑音、騒音、ぼやき、文句は「家の中の子守唄」だったことを発見した。
 連れ合いを亡くした高齢のひとり身の生活は、寂しいこと、辛いこと、悲しいこと、そして難儀なことや。
人間は年をとってからこそ話し相手が要る。
周りのアメリカ人の年寄りは連れ合いを亡くすと、すぐに相手を見つけて、一緒に住む。
「もう少し時間を置いてから見つけてもいいのに」と思っていたが、それは間違いというものやった。
うちの教会のメンバーのおじいちゃんやおばあちゃんも、結婚はしていないが、二人で一緒に住んでいる人は多い。
結婚したら、死んだ時に、お互いの財産のことで、子供達が争うから、結婚はしないそうや。
 今はやりの“若い人が結婚しないで同棲する”、ええやおまへんか。
アメリカ人の連れ合いを亡くした年寄りには同棲は当たり前のようや。
それにしても、年寄りには話し相手が必要であることが、いかに大事かということを思い知らされた1ヶ月間やった。
これからは朝晩嫁はんを拝み倒して、大事にしようと思ってまんね。
トットガナシ、ウヤフジガナシ、 トットガナシ、ユムィ(嫁)ガナシ!!   12-2012 フりムン徳さん


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