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97-「フリムン徳さんプチ手術」7-2008モントレーの山奥から心の叫び
私は67歳から40歳に若返った。
身体ではない、目がである、視力がである。
眺める景色が総天然色で立体にはっきりとメガネなしで見える。
今までは白黒に近いボケた景色だった。
書斎兼寝室の四角い窓から、いつものようにフリムン徳さんは外を眺めている。
庭の遥か向こうの山並みはくっきりとして立体映画のようである。
額縁に納まった絵のようにも見える。
雲一つない青空の向こうに連なる山並みがメガネなしで、はっきりと見える。
四つの目ではなく、メガネなしの二つの目ではっきりと見えているのである。
我が目を疑いたくなる。
目を遠い山並みから庭先に移すと緑色がことさらきれい。
楓の葉、ネクタリンの葉、嫁はんが盆栽みたいに育てた黒松の葉。
クリーニング屋で洗濯され、アイロンを当てたようにすがすがしい。
さらに、室内に視線を移すと、本もコンピューターもテレビも、メガネなしですっきり見える。
片目だけの手術でこうである。
両目の手術をしたら、人の心も見通せるかも知れんと私は密かにに期待するようになった。
これはえらいこっちゃ。
我が目を疑い、思わず目をこすった。
「あっ、アカンのや。
まだ当分は目をこすったらアカンのや。
えらいことしてしもうた。
医者に怒られる。
手術して1ヶ月は目を洗ってもアカン、こすってもアカンと言われたのを忘れたがな」。
私の後悔の独り言である。
だが、心も晴れて、声も晴れやかや。
「フリムン徳さんの目よ、万歳!」と叫びたい気持ちなっている。
楽しい歌も歌いたくなった。
♪♪「丘を越えて、行こうよ、真澄の空は、朗らかに晴れて、楽しい心、鳴るは胸の血潮よ、讃えよわが春を、いざ行け、遥か希望の丘を越えて」♪♪。
日本総カラオケ国民のこの時代、音痴の私がかじり覚えしている歌はこの「丘を越えて」である。
珍しく、「心の中で」思い切り大声で歌っている。
音痴でも感激し、うれしくなった時は楽しい歌を口ずさみたくなるのであります。
でも声に出して歌うと音程がずれていき、自分自身でも「なんかおかしいなぁ」と気付いて苦笑いする。
楽しい気分がいっぺんに萎んでいく。
ましては、嫁はんの耳に届いてはならない。
何十年も連れ添った二人っきりの場だけど、私にもプライドがある。
だから、嫁はんには聞こえないように「心の中で」大きな声で歌う。
白内障の手術をした。
白内障は老人の病気だと私は思っていた。
とうとう67歳でフリムン徳さんも老人の印を頂いた。
半年ほど前から、薄暗い所では本が読みにくくなり、高速道路を運転していて道路標識の字が2重、3重に見えだした。
この頃は別嬪さんも減ったらしい。
遠くの別嬪さんもボケてしまって別嬪さんに見えなくなった。
だから、別嬪さんに興奮することも少なくなった。
助ベーのフリムン徳さんには難儀なことでんね。
でも、これは年の所為じゃなく、目の病気のせいに違いないと、感じていた。
1ヶ月前、教会の庭で立ち話をしていた時であった。
急に周りが眩しくなり、目眩がして、立っておれなくなった。
よろけながら、ようやく近くのベンチにたどり着き、しばらく目をつぶって宇宙の回転が治まるのを待った。
これが聞いていた白内障の兆候に違いない。
早く、手術をしなければと心に決めた。
偶然が重なったようである。
白内障の兆候を待ち合わせるように1通の葉書が2、3ヶ月前に届いていた。
「悪くならないうちに1年に1回、目の定期検査を受けましょう。
年をとると病状は早く進みます」と、ごくありふれたダイレクトメールのような葉書であった。
白内障の兆候とこの葉書の偶然の一致は、「早く、目の手術をせよ」とのウヤフジ(ご先祖様)からのお告げのように思えた。
このところ、ずっと、私はこの葉書が気になって仕方がなかった。
普通は、ダイレクトメールの宛名はプリンタで印刷されて来る。
ところがこの葉書の宛名は青のボールペンで手書きなのである。
さらに、その筆跡が私とそっくりなのだ。
少し気味が悪い、いやもっと気味が悪い。
でも、私と同じ筆跡の差出人ってどんな人だろう。
葉書を何度も目にするうちに、そのもう一人の私に会ってみたくなった。
葉書が取り持つもう一人のフリムン徳さんに会う、おもろいやおまへんか。私の目は輝いた。
葉書に書かれた電話番号に、1週間にわたって何回も電話をしたがなぜか通じなかった。
ますます、幻の葉書かと気になるばかりだった。
この世の中に私と全く同じ筆跡の人間がいる。
こんなことは私の67歳の人生で初めてのことだ。
何日も葉書と睨めっこしながら、「もう一人の私はどんな人か」、「どんなにして連絡をとったらいいのか」と私は頭を抱え込みながら考え続づけた。嫁はんのご見解も伺った。
「どうして刑事にならなかったの」と、うなるほど推理力抜群の嫁はんも、全く解決の糸口さえ見つけきれない。
迷宮入りか。
そして1週間してやっと、私自身が犯人を見つけ出した。
もう一人のフリムン徳さんを見つけたんや。
「彼はどこにおったか」って?
「ここにおりまんがな。ワイでんがな!!」
私はは3年程前に眼科で二重まぶたにするための整形手術をした。 その眼科医の事務所からの葉書だった。
整形手術は別嬪さんがするものと信じて疑わない私自身が、還暦を過ぎてから、整形手術をした。
「おかしいでっしゃろう。整形手術にもいろいろある」
実はメガネが合わなくなり、目の検査のために眼科医に行った。
「あんたは一重瞼で、目の開きの部分が狭い、つまり目が細いからである。視力が落ちている。
だから二重瞼にして、目を大きくした方がいい」と目医者に言われた。
別嬪さんはきれいな顔を一層きれいにするために二重瞼の整形手術をする。
一方、このフリムン徳さんは視力を上げるために二重瞼の整形手術をした。
整形手術のおかげでフリムン徳さんの視力と男前が上がった。
その手術の前に、何やぎょうさん書類を書かされた。
あの時に、この葉書の宛名も書かかされていたのです。
すっかり忘れてしもうていた。
8月19日にアローヨグランデという小さな町で白内障の手術をした。
アローヨグランデは、海辺の町ピズモビーチの隣町だ。
ピズモビーチは昔オイスター(牡蠣)がよく採れた。
今は過保護のシーライオン(アザラシの一種)が増え過ぎて、オイスターは食い尽くされたという。
私の住むブラッドレーからフリーウェイ101号線で南のロスアンジェルスへ向かって1時間半ぐらいのところ。
朝8時の予約の時間に合わせて、私と嫁はんはは5時50分に家を出た。
少し早めに着いて駐車場で待っていた。
これから手術をする病院はこれが病院かと疑いたくなるような小さな建物。
7時半、建物の入り口で一人の女性が、「早く中に入りなさい」と手招きしている。
これまでアメリカで何回も医者に行っているが、どの医者も、病院でも約束の時間より、だいぶ待たされるのが普通だ。
この病院の早呼び込みには少し驚いた。
病院の中に入って、もっと驚いた。 さっきの手招きの女性が受付のカウンターに座っている。
アメリカでもまれに見る体格のいい、実にきれいな女性である。
35歳から40歳代で金髪、色白、もち肌、美しい笑顔。
特に目がパッチリと大きく、うるんでいる。
これこそ眼科病院の受付嬢として最上級の見本だと思った。
さらにフリムン徳さんがしびれたのは、彼女のふくよか過ぎる胸だった。
鹿児島⇔喜界島間を運行する35人乗りのあの小さな飛行機に彼女が乗ったら、飛行機が揺れるたびに彼女の超特大のおっぱいはどんな風に揺れるだろうか。
助ベーの私は、白内障の手術で来ていることを忘れかけている。
検診室に案内された。
テレビや映画の手術場面でよく見る緑色と青色を足して2で割ったような色の手術服、帽子、マスク、薄いゴム手袋で身を固めた3人の看護婦さん。
さらに、3人の男性が待ち構えていた。
体で覆われてないのは二つの目だけである。
マスクの中から聞こえる英語で話しているこの人達の英語は全くわからなかった。
私は口の表情と口から出る声で何とか簡単な英語がわかる私には、マスクをしたこの人達の英語は目で話をしているように映った。
そうだ、ここは目の病院だ。
この人達は目で話をし、目を使って、目の手術をするから眼の病院である事を忘れていた。
フリムン徳さんのたった一つの目を手術するのに、一人の手術医、二人のインターン、3人の看護婦、合計6人が真剣勝負をするのだ。
手術費用も高額だろう。
でも、有り難いことに、アメリカ政府の健康保険とカリフォルニア州政府の健康保険が全額払ってくれる。
私は低収入の身体障害者だからだ。
“アメリカよ、おおきに。アメリカよ、ありがとう”とまた節をつけて音痴の私は歌いたくなるのであります。
手術の前に3人の年配の看護婦さんが代わる代わる質問をする。
「あなたの名前は?」
「生年月日は?」
「朝ごはんは食べてないですねえ?」
手術の8時間前からは何も食べてはいけないのである。
「帰りの車の運転は誰がしますか?」
「嫁はんがします」
「手術する目は右ですか左ですか?」
「ハイ、右です」
と答えると、手術をする右目の眉のあたりにマジックで印をした。
人間の身体にマジックで落書きをされたのが気になった。
優しく白い歯を見せて笑った。
真っ白い歯のきれいなこと。
白人の肌は透き通っているように見えるが、この白人の看護婦さんは歯までも透き通っているようだ。
左手の甲に麻酔を打たれた。
次いで小さな手術室に移り、手術台に寝かされ、手術が始まった。
レーザーメスを使っているのか、小さな注射針を刺されたぐらいの痛みが時々ある。
痛みの度に足に力が入る。
看護婦さんが何も言わずに足を押さえる。
こっちは綺麗な女性に足を踏まれていると、感じているのに、彼女らは、いったいどんなに感じて踏んでいるのだろうか。
「徳さん、車のブレーキを踏んでいると思っているに決まっているがな」 手術は簡単に終わった。
これでほんとに手術をしたのかと疑うほどだった。
数日前、検査の時、医者が「手術は15分か20分で終わるが、手術前の書類を書くのに1時間ぐらいかかる」と笑いながら言ったのは本当であった。
帰りの車の運転は嫁はんだ。
フリムン徳さんは眼帯をしてない左目で嫁はんの小さな胸元を探るように見ながら、そして、受付嬢のあの大きなおっぱいを思い出しながら家に帰った。 7-2008 フリムン徳さん