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87-- 「フリムン徳さん日本公演旅行」        モントレーの山奥から心の叫び  

”叩き売りか、それともスピーチか、喚きか、でも面白そうやなあ”
100人以上の観客の前で、赤い鉢巻、赤いたすきをした男が喚いている。
4ヶ月間、モントレーの山奥で、大声を張り上げ、キチガイみたいに稽古したスピーチの日本公演は大成功した。
東京・目黒のさつき会館での第1回目のスピーチは上がってしもうて、膝ががくがく、喉が乾くやらそれは大変でした。出席者の中の女同級生にコップ酒を請求しました。
一気に飲み干しました。
観衆の呆気にとられた顔々がアップに映されました。
何しろ、元酔っ払いの大工さんの生まれて初めてのスピーチですから。
でも第2回目からは慣れました。
ついに昔の叩き売り時代の徳さんが蘇ってきました。
会場の中に別嬪さんがいないかと、探す余裕さえも出てきました。
 そして、また、偉いことも夢みたいなことも起きました。
この重たい徳さんが、あの薄っぺらい紙の新聞に載りましたんや。
日本経済新聞、南日本新聞、南海日日新聞にです。
「波乱万丈の人生、故郷に錦、人に好かれる大事さ訴え、エッセイスト”徳さん、喜界島で27日公演」「喜界島出身のエッセイスト、フリムン徳さん、23年ぶり帰国、各地で歓迎フィーバー」の見出し。
難儀やのうです。
自分ではまだ、酔っ払いの大工としか思ってないフリムンの私が、とうとうエッセイストにさせられてしもうた。
エッセイストの意味もまだよう分からんのに。
もう一人の別な徳さんがおるようです。
私のエッセイを連載で載せてくれているロスの月刊誌の社長はんは「もう今日から“エッセイストの徳さん”」と呼ぶと冷やかしよる。
難儀なことになってしもうた。
しかしこれだけ騒がれて、彼女の一人も出来まへん、私の男前はアカンのやろうか、(アホ、嫁はんがおるのを忘れたのか)難儀な世の中です。
 アメリカの山の中の砂漠と呼ばれるブラッドレーに住んでいる私にとっては、東京、大阪はホンマニ難儀なところでした。
忙しすぎるところでした。
何でそんなに急ぎまんねやろうか。
分刻みでプラットホームに出入りする電車。
歩くことを忘れて、小走りで急ぐ駅の無数の人間らしくない人間達。
何か、目に見えないものを奪い合いするように急いでいる。
どうして時間を奪い合いあいするのやろうか。
奪い合いするのは別嬪さんだけでいいのに。
 23年ぶりに東京、大阪の通勤電車に乗るたびに、私の目は忙しくなった。空席を見つけて一目散に突進し、座ったと思った途端に、怖い顔、暗い顔、何を考えているか、分からんような顔、眠たい顔、寝た振りする顔、なるべく、人と顔を合わせたくないような、そんなつまらん顔になる。
それから人に迷惑をかけないように新聞を小さく畳んで読む、あの技術は手品師である。
携帯で何かを覗く人になる。
皆さん役者みたいに演技がうまい。
アメリカ人はそんなことは出来ない。
どうも、フリムンの私の考えでは、”他人にかかわりたくない”そんなふうに感じた。
関わりあって生きていくのが人間のはずなのに。
 正直言いまして、日本の電車に乗るのは怖かった。
日本には女性専用の便所ばかりでなく、女性専用車両まであるのだ。
日本にはこのフリムンみたいに助ベーの男が多いのか。
難儀な国やのう。
大阪で2回目に乗った車両が女性専用の車両だった。
時間帯が過ぎているから乗ってもいいと弟の道雄が言う。
二人で吊り輪を持って立っていると、若い女性が親しそうな顔でやってきた。
このフリムンは「俺を有名人」?と思って何か声をかけにきただろうと、ええ気持ちでいたら、なんと「これは女性専用ですから、出てください」と爆弾発言や。
あんな親しそうなオナゴはんの顔から爆弾発言が出よった。
 日本は怖いところや、男ばかりやない、女までもが怖い。
もう昔の日本ではない。
皆さん、忙しすぎる、まじめに生きすぎる、ストレスが溜まり過ぎている。だから、私は東京公演の時には、皆さんのストレス解消に少しでも役立とうと思って、あえて、赤い鉢巻をし、たすきをかけ、焼酎を飲みながらスピーチをした。
堪忍してくだされ、 お察っさっしくだされ!!
 皆さん、明日はがんでバイバイかも知れまへん、来月は交通事故で、さよならかも分かりまへん。短い人生、急がず、のんびりと、たまにはフリムンになって、後先を考えないで、好きなことを思い切ってやって、笑って楽しい、ユーモアのある人生をお過ごしください。      
わが道を行くのです。                         フリムンになるのです。

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