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橋本愛の『木綿のハンカチーフ』、諸井誠の『赤い繭』

橋本愛の『木綿のハンカチーフ』


『木綿のハンカチーフ』という歌を、橋本愛が歌っている。

2021年の春以来、歌声の表情がとても豊かで、厳しく優しい、澄んだ芯のある声の魅力に聞き惚れているうちに、秋の東京国際映画祭の時期になった。この映画祭に橋本愛が出演するにあたって、ウェブサイトに載ったインタビューの言葉が、2年以上経った今も忘れがたい。

“医療ほど直接的ではなくても、私は本当に「芸術文化は人の命を救う」と思っています。その重要性や、保護する必要性…そういった感覚がもっと国全体、国民全体に広がっていってほしいです。”

映画と同じように、オーディオ、録音、レコード音楽も、時に人の価値観を変え、あるいは時として命を救うものだと、日頃から思う。自分自身に、その経験があるからである。

ことに、20代の終わり頃から30歳まで、平成から令和への変わり目、コロナ禍の緊急事態宣言に入った頃にかけて、オーディオと録音が生む音、音楽に、身体と心を救われた日が、何度もあった。

そのことを思い起こしながら、一歩外に出て、オーディオショーに展示されるスピーカーやアンプの音を耳にしたときに聞こえてくるのは、機械の側から「いい音でしょう?どうですか?高級で深味があるでしょう」と言われそうな音ばかり。再生される音楽も、録音された芸術がまったく消え去って、機械の音をよりよく見せる道具にしか、使われていないのだから、いまよく使う言葉でいえば「ドヤ顔の音」がふさわしい。そんな、やりきれない気持になってしまう。

オーディオショーだけでなく、専門店に置かれたスピーカーやアンプからも、こうした音ばかり流れてくる。心と感性が育たない音を聞いて、"オーディオは人の命を救う”と思えるのか。ウンザリと落胆することが多い。やり場のない口惜しさが湧いてくる。けれども、あんまり悲観に暮れても仕方がない。機械の側からいい音でしょうと言われない音にするには、どのように行動すればいいのか。そんなことばかり考えて、暮らしている。

諸井誠の『赤い繭』

2023年11月25日、NHK-FMの番組で、諸井誠の『赤い繭』を聴いた。安部公房の同名小説を、台詞と合唱、打楽器と電子音楽で表現した前衛作品。

『赤い繭』
1960年(昭和35年)10月27日、NHKラジオ第二放送 / NHK-FM実験放送にて放送初演

作曲:諸井誠
指揮:若杉弘
ハープシコード:竹前聡子
オンド・マルトノ:高橋悠治
ドラム:猪俣猛
ボンゴ:内藤常二郎・小野寺浩一
演奏:アンサンブル・エレクトロニカ
電子音楽:NHK電子音楽スタジオ
ミュージックコンクレート:秋山邦晴・諸井誠
合唱:東京混声合唱団

出演:芥川比呂志(男)、山岡久乃(女)、熊倉一雄(警官)、東京放送劇団
(NHK-FM『クラシックの迷宮』ウェブサイトより)

1950年代後半から60年代初頭、NHKラジオで放送された日本の前衛音楽は、今の耳で聴いても、音楽と音響の両方で大変興味深く、何よりおもしろい。
こうした作品の放送を録音して、繰り返し聴いていると、いまだに、クラシック音楽の生演奏に比べて、録音や電子音を下に見るような意見があっても、ほとんど問題にならなくなってくる。


おそらく、休刊した『レコード芸術』誌が、クラウドファンディングで復活するとしても、一番日陰に追われるか、あるいはまったく取り上げられないのがこの種の音楽だろうと思っているけれど、この先良い方向に変わっていくことを、願ってやまない。NHK電子音楽スタジオの作品に光を当てた『音の始源(はじまり)を求めて』は、その代表的なプロジェクトで、日頃からCDで愛聴している。LPレコードへの復刻が実現する情報も、4月に公開された。

いまから5年前。音楽作品のマスタリングと配信を主宰して失敗した経験が、よい経験になったことで、今になってこのふたつの音楽を、同じように楽しめる、自分ひとりにとっての幸せができあがった。それを受けていて感じることのひとつに、映画もレコード音楽も、どうしてこれだけ美しいのか、良い録音なのかわからないものに、言葉にしたら浅薄になりそうな、強い感銘と魅力を持つ作品があることだ。映画『熱のあとに』も、そのひとつになった。

映画『熱のあとに』

愛とは、人を愛する狂気とはなにか。そんなテーマの映画だけれど、映像と音響、台詞の言葉。ひとつひとつの、比類のない美しさに魅了され、度肝を抜かれた。橋本愛が演じる沙苗の”死んだ目”の奥にある表情と美の多彩さ、尽きない滋味と含蓄の大きなこと。東京フィルメックスでの初上映、2月のkino cinema横浜みなとみらいでの公開を通して、目が眩むような感動を受けた。

今は特に、バズるとか沼るとか考察なんて、安直に、お手軽な物の言い方、伝え方で広がる作品ばかり持て囃されるけれども、それぞれが身体や心の内側に届いて響く作品を大切に慈しむことも、多様性のうちだと思ってる。自分自身を振り返って、その慈しむ心がけが、生きる糧になる経験をしているから、決して大げさな言い方でなく、そう思う。

(この文章は、Facebook上で友人・知人に向けて公開していた文章を、加筆訂正したものです)


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