ルームシェア適性がある人。ない人。


を語る記事であって教える記事ではないです。悪しからず。


ちょっと今週疲れ気味なのでサクッと終わらせたいです。願望。



仲良い子たちとルームシェア。想像してみてわお友達とやってみたいねと話した経験。みなさんにもあると思います。なかったら今からしてきてね。


だって絶対楽しい。会う度にくだらない話で盛り上がるのに、起きてから寝るまで一緒にいるなんてずっと楽しい時間がつづくってことじゃん。


そんなの毎日遊んでいるのと同じ。


大人になったら実現させたいね。


と、私がこういった話を初めて行ったのが中学時代であります。当時はグループ系ゲーム実況者が流行真っ只中。我々もゲーム実況者になりたいという夢を立てていました。今なら絶対ネット活動者とか嫌がるであろうあの子もこの話に参加していたの不思議だな…と思います。



その一環としてたてられたのがルームシェア計画。確かに、同じ部屋ならいつだって実況でいる。とてもいい考えです。


なぜか、最終的に同じマンションに住んでご近所さんになりたいね。という話になりましたが。



今の私ならそれは賢明な判断といいますが、それは何故でしょう。では、当時の会話を振り返ってみます。



「ちっちゃいつとは……一緒に暮らせないかな」
「確かに……」


「細かい汚れとか気づかなそう……」
「確かに……」


「私と◯◯ちゃん2人だったらいけるけどちっちゃいつとは……」
「確かに……」


なるほど。


傷ついたかも。


でもすごい言い得て妙です。多分、私も彼女たちとルームシェアするの無理です。疲弊で。というか私、誰とでもルームシェアするの無理です。

所謂。ルームシェア適性がないということですね。



えぇ、私が「名前のない家事」に無頓着なのは正解です。なんなら名前のある家事ですらしないのも正解。

いや、よくそれでルームシェアの夢語れたな。今書いていて恥を感じています。



しかし、名前のない家事に無頓着なことが必ずしもルームシェア適性がないことに繋がる訳ではありません。


ではどういう人が適性高いのか

それは


「してもらってる」ことに気づかない、気づいても罪悪感を抱かない。


こういう人はルームシェア適性高いです。


てことで、ここでお話するルームシェア適性とは「自身がルームシェアに耐えられるかどうか」という観点に基づいたものになります。


よろしくお願いします。



私はしない、できないくせに「してもらった」という事実に罪悪感を抱く方の人間です。これは当然の感情ですし、これをきっかけに反省して次は自分でやるということをして成長ということをするのが人間という生き物です。


しかも私、成長できる自身あります。


ですが、相手に負担をかけてしまった事実は事実なので……うっうっ。

でも出来ないんです……ごめんという気持ちはあるんですけど…。


私こういう気持ちになり続けるの耐えられません!!!!!


1番耐えれないのは私とルームシェアしている友人達なのですがね。


まぁその人達のことは一旦無視しまして。


とにかく私も、開き直って「気づいた人がやればいいじゃん(気づかない)」ということが出来たらルームシェアなんて楽勝なんですけどね。


まぁ、その場合友情が崩壊するので出来たとしてもしたくありませんが。あと普通にそういう人になりたくない。堕ちたくないです。私。


やってみたいんですけどねルームシェア。だけど絶対相手側が負担抱えるし、私はそのことに罪悪感を抱くしで楽しそうではないな…となります。

私が開き直れる人間だったらな……


なんか、話変な方向に広がっちゃって収集つかなくなっちゃった。


本当は宙組のみんなでルームシェアしたらどうなるか妄想まで語ろうと思ったが訳わかんなくなったな。


てことでいい加減まとめます。


とにかく友人とのルームシェア。すごい夢があるのですがあまりにも夢物語すぎて泣いちゃいます。絶対実現したら楽しいのに、実現したら友情が崩壊しちゃいそうで。


かといってルームシェアってそんな珍しい!!という訳では無いですしやろうと思えばやれるのでしょうね。


きっと、楽しいルームシェアというのは誰かの諦めと誰かの甘えが上手く噛み合った産物で、もしかしたら希少なのかもしれないですね。


なら、夢は夢のままで。


それが一番かもしれない。


では、またどこかで。



自分が相手への配慮をちゃんとできれば

じゃなくて

自分が「相手にしてもらう」が自然に出来れば


という思考の時点でやばいのはそう。


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