“好き”の気持ちは、宝石みたい
最近の私の趣味は読書です。
今日は、最果タヒさんのエッセイを読み終えました。
「“好き”は自分の中で完結している。」
とあるページにそういうことが書かれていて。
それが私の胸に深く刺さった。
私は今まで“推し”の存在を隠すことはありませんでした。むしろ中学生の時なんか、クラス全員が自分の当時の推しを知っていたくらい(汗)。
でも、今の推しは、あまり大っぴらにしていない。
どちらかというと自分の中でとどめておきたい。
なんでだろう。
最近、バッグにチェキホルダーを付けている子を見かけると「ああ、いいなあ。私もあんなふうに“この人が私の推しです!!”という気持ちで歩きたいなあ」なんて思ったりして、自分も付けてみたんだけど、なんか違和感。
今までの私ならきっとどこに行くにも付けていってただろう。
大人になったってことかしら。
ううん。私はきっと、誰かに見せなくても、私の“好き”を自分の中で完結させられればそれでいいんだ。
この気持ちは、ずっと私だけのものだから。
この気持ちが大切だからこそ、そんなふうに思えたんじゃないかな。
“好き”の気持ちは、きらきら光る宝石みたい。
たまにうっとり眺めたりするけど、いつもは心の奥に大事にしまっておきたい。
かけがえのない推しに出会って、こんな気持ちになれたことこそが宝物なんだと改めて思いました。