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子どもの頃から鳥が好きである。
小学生の頃は親にねだってジュウシマツを買ってもらい飼っていたし、家の前の道路に米を撒いてスズメにエサをやっていた。ディズニーのプリンセスの様に、撒いたエサを伝って手の上に小鳥が乗らないかと本気で思い試みてみたが、自分ちのジュウシマツですら手乗りにできないのだから当然無理であった。

大人になって田舎に住み始め、烏骨鶏を飼い始めた。近所のおじさんが烏骨鶏やアローカナ、名古屋コーチン等色々なニワトリ類を飼っており、私はそれを見せてもらう為に犬の散歩がてら度々遊びに行っていたのだが、ある日「ヒヨコば持ってかんね」と言われ、私は夫に相談もなくもらってきた。
元来憧れ屋さんの私は、田舎の広い庭で畑を耕しながらニワトリや犬等と一緒に暮らすことに憧れていたので大変浮かれており、夫の小言も大して気にならなかった。(畑は耕していないが)そして、憧れのイメージだけでもらってきた烏骨鶏の世話は後に、大方夫の仕事となった。憧れ屋なのに飽き性なのは私の悪いところである。

その烏骨鶏が、最近全滅した。
タヌキだかネコだか知らないが、庭にやってくる何かに毎日1羽ずつ連れ去られたのだ。ある日は庭に放している時に、またある日は鶏小屋の扉を締めていたのに隙間から入られた。夜中に最期の叫びを聞いた日もあり、その日はだいぶショックであった。

その犯人である未確認生物に怒りが湧き、夫は「罠で捕まえて殺す」と言っていた。実行はしなかったがいつもお世話をしてくれていた夫は、私よりも彼らに対して深く愛情を感じていたのかもしれない。私も落胆したが、考えてみれば自分もいつも鶏肉を食べているのだ。未確認生物と自分は同じなのだ。いや、見たくないシーンを見ずに美味しいお肉を食べているだけなのだから、自分は未確認生物より卑怯である。だからといってお肉は大好きなので、これからは食べないなんてことは無いのだが。

まだ手を付ける気になれない誰もいなくなった鶏小屋を見るたび、何とも言えない気持ちになっている。

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