Coccoの硝子のようなまっすぐさとあやうさ。
初めて聞いたのは、「強く儚い者たち」だった。
「人は強いものよ そして儚いもの」
耽美なメロディー、キャッチーなサビなのに、歌詞は人の本質を抉るようで、当時大学生だった私はぐいぐい引き込まれた。
声もとてもきれいで、強いオーラを持っているCoccoさんは、まるで沖縄から来た、全ての人々の傷を癒す女神のようだった。
そのころの私の心には、Coccoさんの歌詞にあるような脆さや弱さ、執着や依存、いろんな硝子のカケラがあって、それが時々痛いんだけど、こっそりこっそり隠していた。なのに、Coccoさんがその硝子のカケラを見つけ出し、太陽の光が当たる砂浜にそっと優しく撒いてくれている感じだった。カラフルで尖った、硝子のカケラ。きっと、そうすることはCoccoさんも痛いはずなのに。
それから、大切な人と出会い、結婚して、子どもが産まれてからは、しばらくCoccoさんを聞くことがなくなった。
けれど、あれから27年くらい経ち、久しぶりに聞くと、あの頃の硝子のカケラを胸に抱えた自分が目の前によみがえる。
そして、私の抱えていた硝子のカケラは、海で洗われシーグラスとなり、もう、痛くない。年をとるって案外いいものだな、とも思う。
でも「遺書。」を聞くと、必ず泣いてしまう。「樹海の糸」を聞くと、あの頃悩んで迷い込んでいた暗くて深い森を思い出す。「ジュゴンの見える丘」を聞くと「あなたに降り注ぐ全てが 正しい優しいであれ」と切に願う。
Coccoさんの織りなす世界は、不変であり、永遠に美しい。
沖縄の、海と、空と、花のように。