間違いだらけ
僕は間違いだらけだ。自分の行動のことごとくが的外れである。そんな事をもう何年も続けてきた。つらい。僕は自分で自分を追い詰めている。普通、自分の弱い部分は見せないだろう。露悪的な文章では誰の共感も得られない。つらいよ。僕一人の力で僕のこの幾重にも錯雑した精神を改革する事が出来るだろうか?数限りもない苦痛、身が裂かれんばかりの苦悩。社会は僕を無視する、僕に価値がないからだ。僕が偏った考え方に固執しているからだ。その上殺人衝動まで持ってしまった事がある。殺人衝動はもうなくなったが僕が淘汰されるような存在である事は変わらない。
僕から友達が離れていった。僕を見限ったのだろう。いつまでもこんな風にウジウジ悩んでいるから良くないのだ。自分と同じような人々は沢山いる。どうして僕は彼らと親密になろうとしない?僕自身が統合失調症にマイナスイメージを持っているから、僕は親密になろうとしないのだろう。その事にいい加減気づけ。論文や作品の着想を温めるよりまず、僕は自分のどうしようもない現実を受け入れるべきだった。もしそうしていれば今頃僕は恋愛をしていたかも知れない。高尚な趣味は病んだ自分を隠れ蓑にするのにうってつけだった。
自分が作った文学作品、結実した作品を今見返して見ても、粗悪性が目立つばかりである。こんなものに僕が揺るぎない自信を持っていたのが馬鹿馬鹿しい。どうか誰か助けてくれというのなら、僕は自分からも与える人にならないといけない。noteで何かを発信し、知恵や知識を与えていくのも良いのかも知れない。
僕は間違っている。そしてその間違いを嘲笑する人々も大勢いるだろう。破竹の如く、文章をひねり出しても僕が作れるのは3流以下のものだけだ。そんな僕でも何とか生きた証を残そうと躍起になった。意匠もない、ただの粗悪品を、まるでフカヒレやキャビアを渡すかのように捻じ伏せんばかりに人々に提供する事。僕は恥知らずだ。そしてそれは今もそうだろう。しかし恥をかくことを恐れていたら何も出来ない。それは分かっている。
何も行動を起こさず、静謐に、鷹揚に生きていくのもありだろう。そうしていく中で着想も生まれてくる。僕はただ病的に生きるのではなく、より洞察的に生き、自らの渇望を満たす、倫理的、道徳的に問題のない行動につなげていく事が重要なのではないか?まあ言語表現を僕が不得手としているのは読者はよく分かったと思う。