ゆっくり

 僕は今日、ブラックサバスを中枢に据え音楽鑑賞を楽しんだ。また最近はマインドフルネスとか瞑想とかに興味関心を惹かれている。闊達に、健康的に生きる為なら違法でなく、良心の呵責も感じず、道徳的に問題のない方策や資源があるのなら僕は貪婪にそれらを利用していきたい。このネットでの僕のスピーチはまるで心血を注ぐような、咽喉の枯れるような熱中ぶりだが、このテンションを現実に持ち込もうとする事に僕はいささか抵抗を感じる。自分の中で驚天動地とも言える変化を導入するには否応なしに勇猛さを必要とする。
 僕はブラックサバス、ピンク・フロイド、ビートルズが好きだ。そして同じ趣味を持つ友達が僕は欲しい。もう孤独は嫌だ。若者で長身女性で、僕と同じ趣味趣向を持つ稀有な人がいれば僕は尚嬉しい。幸甚だ。
 あと、実は僕は先程3000字の記事を書いたのだがそれは余りにも見返して見て、そして咀嚼してみて意味不明な記事だったので僕は削除した。あれ程までにひどい記事を僕は寡聞にして知らない、最低だ。恥も外聞もなくよくもあんな滅茶苦茶な記事が書けたものだ。おっと、いかんいかん、僕は自分に懲罰を与えるのではなく、肯定し、受け入れるのだ。
 ゆっくり考えていこう。これからの事は。焦る事はない。統合失調症への差別や迫害を巡る侃々諤々の論争の時代は終わり、まさに大きな寛容の草創期が訪れる。僕自身もまずは自分を受け入れ、そして他人を受け入れ、多くの人々と円満な関係を持てるようになっていきたい。鬱屈した、惨憺たる統合失調症の生活からすれば僕の理想は突飛で、天変地異のようなものかも知れぬ。僕自身はこの壮大で非現実的な理想に少なからず感動を覚えている。人は一人では生きられない。だから協力していく。これは綺麗事だろうか?僕は偽善者だろうか?遠慮会釈はなしにして、僕は有機的な、心の通った関わりを持ちたい。そして惻隠の情を持ち、ものの儚さと耽美性を尊び、生きる。僕も統合失調症のご多分に漏れず、非常に疲れやすく、無理しやすいので、何事もゆっくり穏やかにが良いだろう。
 遂に僕は発見した、痴呆でも、迂愚でも、傲然でもない、僕の心地良い心理の保ち方を。その機能性は僕がこれからの人生で示していくつもりだ。仮に僕の方途が誤謬であったとしても、それに気づくのもまた一つの成功だ。
 また、僕は思考に淀みがない時には「何か薬やってる?」と言われた事がある。僕の知性は狂気と紙一重であり、僕が統合失調症に七転八倒してきた事はその逆説的なメカニズムを雄弁に物語っているような気がする。これからその特性も伸ばしていきたい。今まで放置してきた事だから。僕にはそれが一縷の曙光に思える。いつまでも取るに足らない事、愚にもつかない事に懊悩し、非生産的な事を続けるより、これくらい開き直った方が自分の為になる。
 また僕が狂気の深潭にいて、危急存亡を経験してきた事を針小棒大のように扱うのはそこにこそ真理の玄妙さが同居していると感じるからだ。この世には色彩豊かなものに溢れている。だからこそ僕はこの世界を愛している。不可知論者である僕の極限を、僕は示したい。ゆっくり、ゆっくりと。
 

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