偉大なる序章
僕の人生はいつから始まったのだろう。誰も開始のピストルを鳴らさなかった。僕は1998年の真夏に産まれた。母に受胎し、そして何らの意味も持たない斜陽の国で僕は育った。僕は外で遊ぶのが好きな腕白坊主だった。そして朱に染まるように僕も痴呆の習慣を否応なしに模倣する事から始めた。僕にとっては奇想天外な生命体から排除されるか否かの危急存亡は手痛い苦悩の種となった。
僕は特撮を見て剛勇無双のヒーローに憧憬した。悲劇的色彩を帯びたアートワークの特撮もない訳ではなかった。僕は特撮の世界に没入した。熱心であり人畜無害なオタクとなれば僕は液状の安息に、不可視の殻に籠もる事が出来ると判断し、実際に僕はそれを行動に移した。僕の祖国は科学技術が幅を利かせる世相でありながらそこに住む日本人達はどこか卑屈で風采的に矮小であった。僕はこれらの通俗民俗学を小学生の時に肥大化させた。しかしそれと同時に社会の空恐ろしさと有機的な呪詛が錯雑した現実も感じていた。
僕の今までの人生は序章である。しかし思想やスタイルの変遷は己の歴史的に見て極めて稀であり、独創的なものであった。なかんずく寡黙な人にはならないだろうと思っていたが今はある程度寡黙を帯びた大人に育ってしまった。
統合失調症になってからの咽喉枯れ、肺臓も焼けつく経験についてはくどいくらい書いてきた。僕自身が既存の権威や体制に阿る事はなかったことも書いてきた。しかし僕の小学生の時分に焦点を合わせるとより客観的に、俯瞰的に、鳥瞰図的に分析する端緒となるのではと僕は着想を得て書いている。
小学校の教師はピグマリオン効果、発達障害、差別、時代錯誤の軍事性などが僕にとっては印象的であった。また僕はゲームの技巧を積極的に向上させる立場からの撤退をした。これは常日頃の阿鼻叫喚の地獄絵図の息抜きである児童同士の関わり合いに余計な諍いに悩まされない為、己の矜持に纏わりつく不毛な序列を意識しない為の苦肉の策であった。
僕は小学校時代は周囲の人間に白痴の典型例として扱われていた。僕はポテンシャルとしては一騎当千なのだが当時はそれで良かった。そこから奮起してどこかの分野で御大になろうと中学以降には優等生になった。それも僕の手にかかれば造作もない事で、他の雑魚共は歯牙にもかけない不世出の存在であるかのように僕は演技していた。偉大なる序章において、僕もまた一人の俳優であったのだ。
僕の前衛芸術と呼んで差し支えないコンテンツは僕の力の蓄積期におけるデモンストレーションである。それで良かった。そして序章はこれで終わりだ。これからは僕の本編が満を持して、錚々たる知識を具して、人生を御しながら始まるのだ。ああ、統合失調症を患ってからの書物を貪り読んだあの頃も今や燦然と輝いて見える。さて、曙光がやって来たぞ。