死屍累々(パラノイドマンの記事)

 このネット上でも熾烈な諍いが至る所で勃発し、炎上や不適切発言なども瞬く間に広がってしまう。好敵手や仇敵なんて存在も人類の作り上げた空間にはやはり通常と同じように散在している。そんな中で統合失調症を持ち、様々な試みを決心して砕身の努力をしてきた人々も数限りもない霹靂のように存在しており、その度に社会の邪悪さに大敗を喫し、心を病みネットの世界から離れ泰平無事な環境で生活している人もいるかも知れない。何も革命を起こしたり、物事を転回させたりするのに奇をてらう必要はない。ただ社会的に揶揄されたり、心証を悪くされない範囲で常識的な努力をしていけば良いのだ。僕の友達はそう言っていた。彼は非常に聡明なリアリストである。彼の名誉とプライバシーの為にもここでは彼の一挙手一投足について詳細に、饒舌に語ったりはしない。
 社会的にタブーとされるのは妙に詩的な表現や文学的言辞を多用する事や、必要以上に論文的な説明をこれ見よがしに披露する事だ。僕は自分の思考の悪癖としてこれらを甚だ病的な範囲でやっていた。当然注目を集める事も持て囃される事もなく、ただ虚しく時間だけが過ぎていった。こうして僕は26歳となり、誤った認識や習慣を維持したまま走って来てしまった。占いなどの吉凶禍福をはじき出すコンテンツに飢え、僕はそれらに惑溺する事も日常となっていった。しかし今だから言えるが、僕は完全に精神異常だったのだろう。15歳で統合失調症になってから、高学歴にルサンチマンを抱き、弱者として悲劇の英雄を装い、ただ己の感覚的陶酔を得る為だけに生きていた。
 僕はこの世を絶望して去っていった統合失調症患者に真摯な弔意を表したい。そして狂気の犠牲になった人々を救いたい。これは単なる夢物語だ。僕も現実がそう単純ではない事は分かっている。しかし夢というものは得てして常軌を逸しているものだ。否、常軌を逸していない夢は僕から言わせれば夢とは言えない。その目的の為に命を懸ける勇猛果敢さがあるか、他人からの罵詈雑言を馬耳東風に受け流せるかが肝要である。自分の中の何か崇高なものと現実的に有効なものを天秤にかけ、取捨選択していく作業、それらの動作の殆どは何ら面白くないものだろう。しかし人生はそれらの無限順列だ。そしてパラノイドさ、即ち統合失調症っぽさと現実の努力を両輪として働かせていく事でより健全で空前絶後の領域に到達する事が出来る。この時に留意すべきは選択が道徳的、法的に問題がないかを検閲する事だ。酒に耽溺し、放埓で痴呆の脳で何か重大な決断をする事は最も回避させなければならない。
 あと僕は今日母親とドライブに行ってきた。紀三井寺に行って参拝し、温泉にも入ってきた。僕は家族の愛に恵まれている。ジェフリーダーマ―のように育児放棄され、孤独に倒錯、屈折し、精神異常に陥る可能性はない。したがって僕はこれから良い方向に改善出来る可能性が高いという事だ。この統合失調症もきっと良くなる。些細な事を気にしない、解決したり、氷解した問題はもう思い出さない。統合失調症の症状とされる過去の幻聴の数々も気のせいだったのだ。僕がネット上でも、リアルでも白眼視され、迫害されているなんて単なる誤謬だ。
 僕はパラノイドの妄想的に、眼前に統合失調症の死屍累々が存在しているのを想像している。この現状を変えなければ彼らの破砕の努力、人間賛歌は否定され、無為なものとして見過ごされる事になる。僕は彼らの権利よりも彼らの生命の尊さの為に闘う。そう決心している。

いいなと思ったら応援しよう!