蓮華山麓(24)─無給生活
結局私は研究生の名目で、一年間試験場に出入りを許された。研修生は県の歴とした制度なので、それなりの要件を満たさねばならず面倒なので、場長が考え出したいわばモグリのお手伝いというなんともあやふやな立場だった。
そしてやることは、試験場の三つの研究部門、稲、野菜、花卉(かき)の栽培作業をぐるぐるローテーションして農業体験をしてくれ、ということになった。
こちらはどんな立場でも扱いでもかまわないのである。なにしろ田舎暮らしの、農的生活のはじめの一歩を踏み出したばかりなのだから。なんかやらせてもらえるならなんでもいいです、と。
試験場の技師はみな、名のある大学の農学部をでた人達で、もちろん公務員試験にも受かった人である。私と同世代や若い人もいて、話は合いおもしろかった。野球チームを作って町の試合に出たりした。いもち病に強い稲を研究しているからと、チーム名をブラストバスターズと名乗りユニホームまでそろえた。私も悪のりしてスパイクとグローブまで買ったのだ。
その一年間は全く収入がないのに、である。そして居候先の夫妻からは、悪いけど食費を月3万円いれてくれない?といわれ、1年分をまとめ払いしたのだった。
それもこれも、自分への投資と考えることにした。