蓮華山麓(39)─十坪の家つづき
工事現場に電気はなかった。臨時に電灯線を引けると知ったのはずいぶん後のこと。だから電動工具は使えない。材木を切るのも、釘を打つのも、全部手作業。そのため難しいことはできない。最も簡単な方法をとるしかなかった。
モデルとしたのは毎日見ていた養鶏舎の建物だった。最も少ない材料で簡単な作りでできていて、雪につぶれることなく風で倒れることなく20年以上建っていた。
「丈夫なもんだよ」とおやじさまも言う。棒と板を張り付けたような建物でも。だから私の小屋は、柱の3寸5分米松角材に30mm厚の巾200mm赤松板を二枚張り付けた「合わせ梁」方式で、その真ん中に束をはさみこんで屋根をささえるようにした。大工さんがいろいろな仕口を作るいわゆる「刻み」を一切していない。金、腕、知識、道具、時間、全てがないのだった。
難儀したのは屋根トタンだった。まさか波トタンでという訳にはいかない。「一文字葺き」という長尺トタンをプロの金物屋へ買いに行った。「役物は?」と聞かれて、また「それ何ですか?」と聞き返す。屋根を葺くには不可欠の部材だということも知らずに、素人は店頭で初めて勉強したのだ。
屋根トタンを葺いたのは、忘れもしない私の30歳の誕生日だった。8月のクソ暑い日だった。山小屋仲間のS君が一緒にやってくれた。S君は何かにつけて手伝ってくれたので大いに助かった。
とにかく住めるようにすれば、あとは住みながら仕上げていけばよい。必要最小限の工事が終わって、私が「はりまや長屋」から新居に移ったのは冬至の日だった。
すでに厳しい冬が始まっていた。