蓮華山麓(44)─花嫁はスバルに乗って
女房はこれまた尻の重たい人間で、なかなか新潟の実家から出ようとせず、タコツボ生活をおくっていた。
送られてくる手紙の内容は職場の愚痴か、後ろ向きな心情の吐露か、「あ~何か楽しいことないかしら」という他力本願みたいなことであった。
「君は人間のクズか?」と私は電話で言ったことがある。だいたい結婚しようと口説いてる相手をクズ呼ばわりする男もどうかと思うが、山小屋で一緒に働いていた時は多分もっとひどいことを言っていたのである。
女房にしてみればこの頃、父親がガンで闘病中で実家を離れられない事情もあった。私は女房の父親とは、山小屋に遊びに来た時に一度顔を見たきりである。
その後はやくに父親は亡くなった。大腸ガンであった。62歳、私があと2年でその歳になる。今でこそ90だ100だという年寄りがゴロゴロして、60代など若い若いと言われる訳だが、私は60代で死ぬのを理想としている。無駄に長生きするのはよくない、なぜか?
「人は年を重ねても賢くなるわけではない」という真理を知ってしまったからである。
女房は、父親が亡くなって母親がひとり実家に残る状況に、さらに実家をでることに二の足を踏んでタコツボの中にこもり続けた。
このタコを引っ張り出さなければならなかった。つまり女房の母親に会って仁義をきらねば。母親はやはり山小屋で一度会っていたので顔は知っていたが、なかなか本題を切り出すタイミングというのは難しい。ええい!と私は声を大にして「今日来たのはですね、結婚を申し込みに来たんです!」と、強引に挨拶に持ち込んだのだった。
父親が亡くなった翌年の春、その父親の形見となった愛車スバルジャスティ1200ccを転がして、女房は私のもとへ来た。このクルマにはその後10年あまり乗った。馬力はないけれど良いクルマだった。