蓮華山麓(28)─安定した人生?

  親が我が子に、安定した生活をしてほしいと望む気持ちは、私も親だから理解できる。しかし私の親は、安定した暮らしの入手法を安定した仕事につけとしか教えることができなかった。つまりサラリーマン、勤め人になれとしかいえないのだ。なぜなら自分が勤め人しかやってないからだ。
  だが私は、そのサラリーマン的生き方に疑問をもったがためにレールを自らはずれた。とはいえ自分で言うのもアレだが、根は真面目なムスコである。親の期待を裏切って心配かけているという、じくじたる気持ちは常にあった。
  やっぱり勤め人になって安心させたほうがいいか、そんな気にもなった。それで、松本職安で職さがしをした。なぜその会社を選んだか覚えてないのだが、小さな土建屋で三日働いた。国道沿いの草刈りだったと思う。そしてすぐ辞めた。
  やはり何か違ったのである。それをするためにここへきたのではない、違うだろ!
  安定とひとくちに言うが、毎月給料をもらって年金も会社でかけてくれて退職金もでて、という従業員の立場を言っているのである。会社がつぶれれば終りではないか?経営者はそうならないよう日々必死で仕事と金の算段をしている、安定とは裏腹なのだ。
  仏教では無常という。ブッダ釈尊は、万物は常に変化しているという真理を得たのだ。
  親の意見とナスビの花は千にひとつも無駄がない、とはいうものの私には親の意見は無駄であった。

いいなと思ったら応援しよう!