蓮華山麓(33)─養鶏場の日々つづき
おやじさまの鶏舎はもういいかげん古くボロだった。ネズミは出入り自由、小鳥はおろかカラスが卵をくわえていったこともある。フクロウを鶏舎内で捕まえたこともあった。
冬は外気温とほぼ同じだから、真冬日には鶏の飲み水が凍る。水がのめないと鶏は餌を食わないから、樋の氷をかきだし水道から新たに水を流して、鶏が飲んだらすぐ止めてしまう。どうせまた凍ってしまうからである。
鶏は寒さより暑さのほうがむしろ苦手で、夏の盛りには口を開けて息をしていた。そりゃそうだ、ケージ1部屋に2羽詰め込まれてどこへもいけないのだから。南北の風よけカーテンを全開しても夏の鶏舎内は暑い。鶏のシラミがよく私のシャツにうつった。私が裸になってシャツのシラミをつぶしていると、おやじさまが笑って言ったものだ。「兵隊のころを思い出すねぇ」
火曜日と水曜日は、卵を売りに行く日で、大町市内の工場の昼休みにあわせてパートのおばちゃんたちに買ってもらう。また毎週きまった家に届ける。たいてい買ってくれてるのは婆さんたちだから、若いよそ者の私はめずらしがられた。年齢出身から学歴から親の仕事から兄弟姉妹から、こういうときはすすんでプライバシー全公開するのが良いと、私は知った。相手はそれで安心するのである。そして細かいことはほとんど覚えてないのだ。
この卵売りで、私は見知らぬ土地になじむことができた。顔がひろがり、道を覚えることができたのだ。それが後にも全て役立った。