致知2月号
昨日に引き続き
福澤諭吉先生と北里柴三郎先生のお話です
お二人には幼少期極貧の環境だったという共通点があったそうです。
どんな状況にあろうとも「あの時が最高の環境だった」と思える日がきっと来るんだと。
と文中にありました。
困難な環境があったとしても
その環境から学べることがあるということですよね。
今日受けた講義の中で
無力感や喪失感を人生で何度か経験するというお話が出ました。
学ぶ仲間の中には
最愛のペットを亡くして喪失感を感じている方がいて
私は今自分の母が入院中で
その入院も長く
今現在は
目は開くけれど
意志がないような感じ
喋ることができない
家族に対する反応もなく
年末年始に無力感に苛まれました。
その無力感や喪失感はないけれどもある
目には見えない
たしかに自分の中にたしかにある
その経験は、共に過ごした日々があり
真剣に向き合い考えたから感じるもの
実際に経験したからこそ得たもので
それが人間がこの世で経験すること
人間しか経験できないというお話が講義の合間に出ました。
どのようなことでも自分にとって必要なもので
その経験を得て次にどう進むのかが大事なのだと感じました。
どのようなことも
自分のプラスにしかならない。
スケールは違いますが
私はそのように捉えました。
そして
柴三郎先生の残した言葉
「熱と誠があれば何事も達成できる」
これはまさに
大谷翔平選手が花巻東高校時代に
目標達成シートに書いた
頭は冷静に心は熱く
と通じるものがあるように感じました。
諭吉先生の残した言葉の中には
「独立自尊」
という言葉があるそうです。
西洋文明を成り立たせている根幹は何かを模索しに世界へ出て
それが自由と平等であると気がつき
しかし職業選択の自由がなかった江戸時代に、そのまま自由と平等を説いても、理解できる人はいないでしょうし、自由をわがままと履き違えてしまう人が出てくるかもしれないことから
「独立自尊」の精神に至ったのではないかと書かれていました。
現代人が自由をわがままと履き違えているなぁ…
社会を構成していく人間1人ひとりの心身が独立しているからこそ、国家が独立していられる。自由と平等はその上に成り立つ。
というのです。
心身が独立するということの意味は
今だからこそ真剣に考えて
1人ひとりが至るべき精神なのではないかと思います。
今は依存心が強くなり
誰かに頼り切りで
自分1人で心身を独立させよう‼️という思いが
弱いように思えるのです。
心身が独立して
できる人ができることをして
できる人が本当にできない人のためにしてあげるということ
できる人もできない人も
その思いが大切なのでは?と思いました。
熱と誠があれば何事も達成できる
独立自尊
素晴らしい言葉を知ることができました。
そして最後に
志という文字を分解すると
「士(さむらい)の心」と書きます。
そこには純粋で真っ直ぐな精神が貫かれている。諭吉、柴三郎の純粋で真っ直ぐな精神が近代日本の基礎を築いていったことを思うと、この二人はまさに日本にとっての恩人だと思います。
と書かれていました
さむらいは侍と書くのではないの?
士も訓読みでさむらいとよぶらしいのですが
ネットで調べてみましたが
納得できる答えはありませんでした。
さむらいが侍と士の二つの文字があり
志の士の心はどのような意味があるのか?
疑問が残りましたが
その疑問は宙に浮かせて
その答えがいつかわかるといいなぁ〜
日本人として日本に生まれて育ったからこそ
日本人の心を誇りを精神を
身につけたい
と思いました。