フランスだからそうなのか。若い大人になった子供との関係。
末っ子がリセを卒業して1年経ちました。慌ただしく見送った1年前。子供のいなくなった家で、ふたたび夫と二人の生活のリズムに慣れるのに数ヶ月かかりました。
寂しい、寂しいと周りに言っていたら、気にかけて食事に誘ってくれる友達が多くいました。そして寂しい気持ちのストーリーを何回も繰り返して話しているうちに、寂しい気持ち自体は薄れていって、子供が家にいない生活にはすっかり慣れていきました。
と思っていたら7月にパリで学ぶ子供2人が夏休みに家に戻ってきました。学問や研修などの仕事や、人間関係やいろいろとある中で頑張ってやっと夏休み。ずっと一緒に住んでいる時は割と厳しくしていた方だと思うのですが、一時帰国となると話は別。彼らを受け入れるために仕事は全部おいといて、家事の手伝いも最初から子供にはそんなに頼むつもりもなく、ただただ休んで美味しいものを食べてもらおうと広い心で待っていました。
だからこちらから叱るような原因は何もなかったのですが、大人になった彼らから見た私たちの親としての至らなさを指摘されたりして、少し言い合いになることもありました。「親が子供に教える」という関係から親と子供が同じレベルになってきて、今や追い越されて諭されるようなこともある、という状態。
子供が小学生から思春期に入る時に「ダメはダメ」みたいな理論が通らなくなって、筋を通して話す、頭ごなしはいけない、口出しせずに見守ることを学んで一歩ステップアップした親業。
そして彼らが家から出てしまった今、彼らなりに大人として私たちを見るようになり、その批判を受けるようになった新しい段階です。
受け入れるのは少し難しいところもありますし、彼らの言ってることに全て賛成するわけではありませんが、それでも諦めずに対話を続けていくことを心に決めました。そう、諦めずに話していくこと。
彼らが学業を終えて自活し、自分の家族となるような心の拠り所になる人を見つけた時が次のステップアップの時になるでしょう。その時は、彼らの意見は自分だけの意見ではなく、人生を共にする人の意見に大きく影響されるので、どのくらい私たちが意見を求められるのか、求められないのか。さらに難しい段階に入るのでしょう。
そのことはまだまだ考えられないけれど、子供とゆっくり話す時間があった今年の夏休みに感謝しています。彼らの時計と私たちの時計の時差を埋めてくれた時間でした。そして海に行き、犬と遊び、美味しい食事を共にして大いに癒されました。
今また二人生活に戻って、それも悪くないと思っている9月です。