[ラス/キュイ] 幼なじみ:3話
冷たい水が一滴、二滴と頬に落ちた。
少年の肌をトントンと叩く手は、少年の意識を引き上げてくれた。
ラスはかろうじて目をうっすらと開くことができた。
石で覆われた天井が見えた。
一滴の水が岩の端を伝ってラスの頬に落ちた。
ラスはしびれる手を何度か握りしめて、ゆっくりと身体を起こした。
頭は割れるような痛みを感じ、お腹は吐き気を催した。
ラスが横になっていたところは冷たい石の床だったので、寒気が身体を伝って徐々に上がってきた。
隣には、サーモンピンクの髪をしたミケ族の少女も倒れていた。
「……キュイ!」
掠れたラスの声が口から漏れた。
ラスは慎重にキュイを揺すって起こした。
うめき声を上げながらも、キュイが目を覚ました。
「ラス?」
キュイも眉をひそめて頭を抱えたが、怪我は見当たらなかった。
ラスが安堵のため息をつくと、キュイも掠れた声で尋ねた。
「……ここはどこ?」
ラスはあたりを見回した。
二人が閉じ込められた所は洞窟だった。
周囲は一面を除いて硬い岩で覆われており、唯一光が入ってくるところは鉄格子で遮られていた。
鉄格子の隅には、厚い錠で施されたドアが見えた。
ラスとキュイは洞窟の中の牢に入れられているようだった。
「よく分からない……ラグナデア周辺に洞窟はないと思うけど……」
「キュイとラス、拉致されたの?」
「そうだと思う……」
「あっ、エレスも消えた! うぅ、誘拐犯のせいか!? ビナとラスの家にコインをせびりに来たんだ!!」
キュイは憤慨して叫んだ。
少女の声が洞窟に響き渡ると、こちらに近づいてくる足音が聞こえた。
明るい松明から影を落として歩いてきた人物は、気を失う前に見た黒いローブを着て、顔も黒い布のようなもので隠していた。
「起きたのか? おとなしくしていたほうがいいぞ。叫んだところで、誰も助けに来ないからな」
「いや! カ、おじさんがきっと助けに来るよ!」
カルリッツの名前を口にしようとしたラスは、急に言葉を変えて言った。
「キュイの家はコインがない! キュイを捕まえてもコイン一枚ももらえないよ!」
自分の唯一の保護者を信じるキュイも強く叫んだ。
しかし、看守は冷たくその言葉を無視した。
「我々はそんなくだらない目的でお前たちを連れてきたのではない。すぐわかるだろう。お前たちが選ばれたかどうかをね」
「何を言ってるんだ!?」
「まもなくわかるだろう」
看守の言葉が終わるやいなや、遠くから大きな何かがドスンドスンと動くような鈍い振動が感じられた。
まもなく奇異な音も聞こえたが、まるで誰かの悲鳴のようだった。
子供たちが不安そうにそっちを見ると、男が鼻で笑った。
「分かったか? ワケもなく騒いで、体力を消耗するなよ」
看守は再び自分の席に足を踏み入れた。
ラスは鉄格子にしがみつき,悲鳴が聞こえた方を見ようとした。
洞窟は思ったより深いのか、右側に伸びた廊下は闇に満ちていた。
すぐ正面には、ラスとキュイが捕まったのと似た大きさの小さな牢があるが、その中に誰かがいるようには見えなかった。
そして松明がかかっている左側は、おそらく看守が見張りをするところだろう。
「今日、カルリッツが遅く帰ってくるって言ってたけど」
ラスはキュイの隣に座り、小さくささやいた。
キュイもささやいた。
「ビナはキュイを見て、先に夕食を食べてなさいって言ってた」
二人の子供の口から同時にため息があふれた。
よりによって誘拐された日が、大人たちが遅く帰ってくる日だとは……。
しかし、子供たちは大人たちをおとなしく待つつもりはなかった。
ラスは未来のグランナイツとしてこのような暴挙を容認できず、キュイは万が一でも身代金を要求されることをを防ぎたかった。
正義を愛する少年と、お金をバラまくより得るのが好きな少女は、視線だけでもお互いの心に気づいた。
ここから脱出しよう!
二人の子供はまず牢を調べた。
牢を含めたこの場所全体が洞窟なのか、壊したり隙間をこじ開けたりすることはできないように見えた。
看守が座っている左側が出口であり、右側は洞窟の奥深くにつながっているようだった。
「看守を倒さなきゃ」
ラスがひそひそと話すと、キュイはうなずいた。
「それはキュイに任せて。キュイが一発で吹き飛ばしてあげる!」
キュイは元気よく言った。
グランウェポンがなくても、キュイの炎はなかなかの威力だ。
「キュイはもーっと強い炎も使える! だけどその代わりに集める時間も長いし、少し遅くなっちゃう」
「火の玉が飛ぶ速度のこと?」
「うん。ラスのような泣き虫も避けられると思うよ」
「だからオレは泣き虫じゃなくて……! とにかく考えてみたんだけど、こうしたらどうかな?」
ラスは作戦を話し、じっくりと考えていたキュイが何かをささやいた。
やがてラスもうなずき、子供たちの小さな作戦は完成した。
作戦は、ラスの大げさな振舞いから始まった。
「すみません、大変です! すみません!!」
ラスは鉄格子にしがみつき、看守に向かって叫んだ。
「キュイが痛いって言ってるんで! 病院に行ってお医者さんに会わなきゃいけないんです!!」
さっきまで大声で叫んでいた子供が病気だと言ったら、誰が信じるだろうか。
しかし、ラスは渾身の力で叫んだ。
その声はとても大きく、石を握って鉄格子まで叩き、カンカンという音まで響くと、すぐに看守が現れた……。
「このガキども、静かにできないのか!?」
「大変です。キュイが痛がってるんですよ!!」
ラスは後ろにうずくまったキュイを指差して言った。
小さなミケ族の少女は、鉄格子を背にして身体を丸くしていた。
看守はその姿を見ながら鼻で笑った。
「何を企てるんだ? どんなに叫んでも牢は開けないぞ」
「本当なんです!! オレの友達が死んだら責任とれるんですか!? 選ばれたって言ってたじゃないですか! 病気に選ばれたとでもいうんですか!?」
ラスは叫びながら、さらに鉄格子を叩いた。
唯一見える目を吊り上げて、看守は言った。
「いくら騒いだところで助けにくるヤツはいないんだぞ、この野郎! 友達が病気なのに大声出すなんて、お前は本当に友達なのか!?」
「うっ……」
正論なので良心が痛んだが、ラスは屈せずに鉄格子を叩き続けた。
キュイは痛みで丸くなっているわけではないし、声を出し続ければ看守がラスに集中するから。
ラスが鉄格子を叩き続けると、怒った看守は威嚇するように近づいてきた。
手に持った石を奪おうとするのか、脅しをかけようとするのか分からないが、ラスは近づいてきた看守のローブの裾を思いっきりつかんだ。
「今だよ、キュイ!!」
「フャァァァッ!!」
しゃがんだ状態で力いっぱい魔力を集めていたキュイが、看守の方に身体を向けながら手足を広げた。
ラスとキュイの頭を合わせたよりも大きな火の玉が、太陽のように牢の中に浮び上がった。
浮かんだ火の玉のように、目が大きく広げた看守が逃げようとしたが、ラスはローブの襟を放さなかった。
鉄格子越しのラスをまともに押し返すことができなかった看守は、のろのろと飛んでくる火の玉を正面から被るしかなかった。
「クアアアッ!!」
悲鳴をあげて看守が倒れた。
顔を覆っていたローブが燃え尽き、素顔が明らかになったが、顔はもちろん髪の毛も真っ黒に焦げていた。
炭化した卵と違いがなく、誰なのかはわからなかった。
それを見て、キュイが首を横に振った。
「ふぅー、やっぱりグランウェポンがないから、少し物足りないね」
「キュイ、この人、気絶してるよ……」
「その程度は当たり前じゃんか! キュイが一生懸命押し込んだ魔力なんだから! ラスは天才魔法使いのキュイをほめたたえながら、早く鍵を探してね」
「はいはい、天才魔法使いのキュイ様」
ラスはため息をつきながら看守の身体をまさぐった。
幸いなことに、幸運の女神は子供たちに微笑んだ。
刑務所の鍵は看守の腰あたりからすぐに見つけられ、ラスが必死に鍵を錠前に押し込むまで、他の看守はいなかった。
気絶した看守を監獄に閉じ込めた子供たちは、注意深く周りを見回した。
看守が来た左側の廊下に行ってみると、灯台が置かれている木製テーブルと背もたれのない小さな椅子があった。
テーブルと椅子が置かれたコーナーの横には、上へと続く低い石段が存在した。
テーブルの周りを見回していたキュイが顔をしかめた。
「エレスが見あたらない! この誘拐犯たちが持ってこなかったはずがないのに」
「そういえばオレの木刀もない!」
「ラスのおもちゃは捨ててきたんでしょ」
キュイは冷静に判断し、ラスはがっかりとした。
ただの木刀に見えるけど、それはカルリッツがプレゼントしてくれた木刀だ! ラスの汗と涙が染み込んでいるが、率直に言って他の人が見るには、ただの普通な木刀だろう……。
「キュイがエレスを使っているのを見たなら、グランウェポンだと気づいたはずだ。だから別に隠したんだ」
キュイの言葉にラスはうなずいた。
キュイの推理は続いた。
「それなら誘拐犯たちは何の目的だろう? グランウェポンを盗もうとしたとしたら、ラスまで連れて来る必要はなかったじゃん。ラスは木に縛っておけばいいだけだし。だから、この悪党たちはグランウェポンを狙ったワケではない!」
もっともらしい推理に、ラスも同意した。
グランウェポンはグランソウルと魂が結ばれる契約なので、盗むとしても他の人は使えない。
グランウェポンの契約を強制的に解約する方法は、契約者を殺すことしかないという。
グランウェポン強盗団が捕まった時、街の人たちがひそひそ話すのを聞いた。
そのおぞましい事件がキュイに起こらなかったことに安堵し、ラスが密かに胸をなで下ろす。
キュイは階段をぴょんぴょんと登り、ミケ族の耳をピンと立てた。
「こちらの方が出口みたいだね、ラス。こっちから風が吹いてくるよ」
「外に出て、大人たちを呼んでみようか?」
「うーん、その前に誘拐犯たちが逃げちゃうんじゃないかなぁ?」
ラスは答えられなかった。
気絶した状態で来たのでラグナデアまでどれだけ離れているのか分からないし、時計のようなものもなくて、時間がどれだけ経ったのかも分からなかった。
その瞬間、またドスンという振動が感じられた。
ラスとキュイは同時に反対側の廊下を眺めた。
暗闇に染まった廊下は、何が待っているのか見当もつかなかった。
「さっき他の子の悲鳴も聞こえたよね? オレとキュイだけが捕まってきたんじゃないみたい。ここは一体何をするところなんだろう……?」
「あのおじさんを起こして、また聞いてみようか?」
「……素直に答えてくれるかなあ」
「脅すんだよ。言わないとまた焦がすぞーって!」
威勢のいい冗談にラスはぷっと笑ってしまった。
肩に力が入った緊張が少し解けた。
気持ちを引き締めて、ラスは真剣な表情でキュイに話した。
「キュイ、ここを出れば出口だと思う。でも、オレは中を見にいきたい。奥にオレたちみたいに捕まってきた子たちがいるはずだよ。それを知らないふりをして出て行くわけにはいかないよ」
「泣き虫のラスが奥に進むって?」
「だからオレは泣き虫じゃ……ああ、もうそれでいいよ」
ニヤニヤするキュイを見てため息をついたラスは、再び洞窟の中を眺めた。
何があるかわからないが、悲鳴が聞こえるところをグランロード・レオンは無視しないだろう。
不義を見過ごさないラスだが、仲間のキュイの意思も尊重するつもりだった。
「キュイは先に帰ってもいい。戻って大人たちを呼んできてくれ」
ラスの言葉に、キュイは腕を組んで見た。
「ふーん、何もないラスよりキュイの方が強いと思うけど?」
「そ、それはそうだけど……」
「ラスはきっと、グランナイツは人を助けなければならないとか言って、行こうとしてるんでしょ」
核心を付かれたラスがもごもごとしている間、キュイが腕を組んだまま首を横に振った。
「キュイはグランナイツなんて興味ない。でも、中にいる子を救うのは賛成だよ」
ラスは目を丸くしてキュイを見た。
キュイがこんなことを言うはずがないんだけど? 気絶している間に、誰かとすりかえられたんじゃないか?
ラスの変な視線に気づかず、キュイが力強く話した。
「中に入って捕まった子たちを助けて、その親たちからコインをもらうんだよ!!」
「キュイだ!」
「そうだよ、ウチがキュイだよ」
喜ぶラスを不思議そうな目で見ていたキュイは、すぐにいくらを受け取れば妥当な金額なのかを楽しく計算し始めた。
それさえもキュイだったので、ラスは友達の正体を疑わないことにした。
こうして、現在最も協力な味方を得た未来のグランナイツ候補生と、知らない子供たちの親からお金を巻き上げようと意気込むキュイは、それぞれ決意に満ちた目で洞窟の内側を向いた。
大人がいたなら、とんでもないことを言わずに助けを求めろと怒鳴りつけたが、不幸にも近くに大人はいなかったし、子供たちの無謀な足を止めるものは、誰もいなかった。