[ルイン/セリアード] 血の奉献式:前編

※この小説はメインクエスト8章のネタバレを含んでいます。

 新しい服がカサカサと音を立てた。

 両手を重ねて座っていた少女は、音のする方に顔を向けた。
 明るい金髪を綺麗に三つ編みにしている、少女の双子の妹が、小さな手でスカートをしわくちゃにしているのが目に入った。

 青い瞳がこちらに向くと、人差し指を持ち上げ、慎重に口元に当てた。
 静かに、という意味だ。

 幸い、そのジェスチャーを理解した少女は、スカートから手を離し、両手をそっと前に集めた。
 カタカタと鳴る足音もゆっくりと収まると、少女は再び頭を前に向けた。向こうから大人の声が聞こえてきた。

「本当に嬉しい知らせですね」
「ご期待に応えられることを嬉しく思います」

 少女が座っている場所は、神聖な雰囲気に満ちていた。
 神殿にはよく立ち寄るが、ここまで奥深くに入るのは初めてだった。

 少女と少女の妹は、母親の両手をそれぞれ握り、神秘的で美しく整えられた道に沿って中へ進んだ。
 白く滑らかな石の床が広がる場所には、女神の姿が刻まれた高い台座があり、その前に慈愛に満ちた笑顔の女性が立っていた。

 少女たちが長老と呼ぶテリンヌ家の当主は、彼女を迎えて腰をかがめた。
 台座の前に立つ美しい女性は「大司教様」と呼ばれた。

 大司教は、まばゆいばかりの白い服を着ていた。
 少女は神に会ったことはないが、大司教から不思議な輝きを感じた。
 彼女が振るう杖のせいかもしれないが、幼い子供の目にも、彼女が持つ杖からは威厳が感じられた。

「では、集めてくださったキーストーンは、どのように受け取ればよいのでしょうか」
「どういうことでしょうか……」
「急ぎ女神ベルティへ捧げなければなりませんのでは?」

 少女は床を見つめていた視線を上げた。
 大司教とテリンヌの長老は、壇上で会話をしていた。

 少女と少女の妹、そして一緒に来た少女らの母親は、少し離れた場所に座り、祈るように両手を合わせて待つしかなかった。
 二人の会話の邪魔をしてはいけないと注意を受け、ただおとなしく大人たちの会話が終わるのを待つしかなかった。

 足を振って落ち着かない妹の様子が理解できる。
 少女もじっと座っているより、この広い空間を歩き回り、探索したかったが、我慢した。

 お姉ちゃんとしてしっかりしなければならない。
 少女の小さな頭は、そんな考えでいっぱいだった。

 なるべく静かにしようとしていたのも忘れ、大司教の声からは、妙な棘を感じられた。
 少女は大司教が片手に杖を持ち、もう片方の手を長老に向かって差し出しているのをじっと見つめた。

 長老は、後ろ姿しか見えない。
 美しい大司教は、慈愛深い微笑みを浮かべていた。
 その微笑みは、堂々と差し出された手とは似合わないように感じた。

「……はい、大司教様。長年の慣習に従い、キーストーンを捧げるため、女神の庭園にて奉献式を執り行いたいと考えております」

 低い声が空間に響き渡ると、大司教はそっと手を引いた。

「……そうですか、奉献式がありましたね」
「……はい。そのため、日程についてご相談に参りました」
「……テリンヌ家では、候補の日程は決まっているのですか?」
「はい。こちらで五つの日程を選んでおりますので、大司教様とエスプロジェン陛下がご確認いただければと思います」
「ああ、そうでした。陛下まで……そうですね、そうでした」

 そして短い静寂が訪れた。

「……女神ベルティからは、形ばかりの儀式は望んでいらっしゃらないというお言葉を残されたことがあるのです」
「そうですか……」

「はい。黒き龍の戦争が終わって間もないこと、込み入った儀式に従うよりも、急ぎキーストーンを受けとらなければならないと、判断されたのだと思います」

「……今回の奉献式を通して、その意向を広く知らしめていただきたいものです」

 少女は緊張して軽く唾を飲み込む。
 会話の内容はよく分からなかったが、緊張感が漂っていることは感じられた。

 少女はそっと顔を横に向け、隣を見る。
 妹の手を握り、一緒に中へ入ってきた母親も、あまり表情がすぐれない。

「ふふ、そうですか。今回の奉献式ですね……日程については私が陛下の元へ訪ね、決めることにしましょう」
「お待ちしております」

 退く長老の後について、大司教がこちらへ近づいてきた。
 母親が席から立ち上がると、少女も妹と一緒に椅子から降り立った。

「あら、この子たちは……将来のデテクターたちなのですか?」
「はい、我々一族の将来を担う子供たちです」
「ルイン、セリアード。挨拶をしなさい」

 少女はスカートの裾を両手で握りしめ、軽く頭を下げた。

「ルイン・テリンヌです。大司教様」
「セ、セリアード、です……」

 突然、目の前に大司教の顔が現れた。
 大司教は身をかがめて、少女と少女の妹を注意深く見た。

「セリアード……」

「何かご用件でも?」

「……いいえ、知っている人が頭に浮かんだもので」

 大司教の青い瞳がこちらをかすめて通り過ぎる。
 奇妙な微笑みを残し、大司教は身体を起こした。

 少女は、下を向き床を見つめる妹の代わりに、顔を上げる。
 姿勢を正した大司教が片手に持った杖を高く掲げ、優しく語りかけた。

「これもまた、女神ベルティの導き。こうして出会えて嬉しいわ。ルイン、セリアード。健やかに美しく成長し、テリンヌ家の使命を果たしなさい。女神の意思に従い、あなた方に祝福を授けます」

 見上げる少女に、杖を持った大司教の意味深な視線が降り注がれた。

 ***

 邸宅へ戻る道。

 慣れない場所で緊張していたせいか、少女は馬車の中で眠りについていた。
 ガタガタと揺れる動きがなければ、邸宅に到着するまで起きなかったであろう。

 しかし、少女は目を覚ました。
 右肩が重くなり、少し顔を下げると、こちらに頭を乗せたまま眠っている妹の姿が見えた。

 可愛いセリアード。
 少女は妹の頭を撫でようと手を伸ばした時、聞こえてきた声に顔を向ける。

「気をつけた方がいい」
「大司教……様ですか」
「女神様の声を直接聞いたのも、随分と久しい」
「でも、今度庭園に行けば、神の痕跡を感じられるのではないでしょうか?」
「そうでなければならない。大司教の言葉が嘘をついていないと信じるためには、今回の奉献式で女神ベルティが、その意志を示さなければならない」

 長老と母親の会話には、依然として緊張が漂っていた。
 少女は慎重に手を伸ばし、妹の髪を撫でる。

「もしかしたら、あの手紙は本当かもしれない」
「……あの日、書斎に置かれていたあの手紙のことですか?」
「そうだ。大司教に気をつけろと警告していた。デタラメな話だと思い過ごしたが、今日に至ってみれば、警戒する必要があるかもしれない」
「警戒とは……?」
「キーストーンの入手場所や数を知らせていたので、欺くことはできないだろう。セリアードのブローチは持って行かせないようにしなさい。今回の奉献式には護衛の人員を増やし、陛下にも別途連絡を……おっと、ルイン。起きたのか」

 妹の髪を撫でていた少女は、自分へ向けられた声に目を向ける。

「もう寝なくていいの?」

 緊張感が漂よう雰囲気が、少し和らいだ。
 少女は、優しい眼差しでこちらを見つめるその瞳と視線を合わせ、少し躊躇した後、慎重に口を開いた。

「大丈夫……ですか?」
「何がだい」
「心配事がたくさんあるように見えたから」

 少女の言葉が意外だったのか、長老の顔に驚きの表情が浮かび上がるが、すぐに消えた。

「何もないよ、君たちが心配するようなことは、何もない」
「そうよ、ルイン。さあ、もう少し寝ていなさい」

 長老は大丈夫だと伝えるように。
 続いて母親の手がこちらへ届く。少女は再び目を閉じる。

 馬車はいつの間にか平坦な道を走っていた。
 目的地は、もうすぐそこまで来ているようだ。

 ***

 忙しく行き交う人々、妙に浮き立っている雰囲気。
 テリンヌ邸は、これから起こることへの期待に満ち溢れていた。

「うぅ……」

 ドアが開く音に、少女は自然と首をかしげた。
 そこには不満そうな顔をしたセリアードが現れた。

「みんな何も教えてくれない。セリアードは悲しい」
「大人に迷惑をかけてはいけないよ」
「セリアードは困らせていないよ。ただ聞いてみただけだよ」

 短い息を吐きながら、少女は自分の隣の席を叩いた。

「ここに座って、セリアード」
「おねえちゃんは悲しくないの? おねえちゃんとセリアードにだけ、教えてくれないなんて」
「大人は忙しいから」

 きっぱりとさえ感じられる言葉が寂しかったのか、妹のプクッと膨らんだ頬が、もうすぐ泣き出しそうな顔に変わった。

「ズルい……」

 今にも涙が零れんばかりの表情を浮かべる妹に、少女は手を差し伸べた。

「セリアード、ここに座って一緒に読もう」
「覚えるのはイヤだよ……」
「一緒に読めば簡単だよ、さっ、早く」

 一緒に読もうという言葉に気分が良くなったのか、セリアードは小走りで近づいてきた。
 少女はセリアードを隣に座らせ、見ていた本を二人の真ん中に置いた。
 広い机に並んで座った姉妹は、古い本へ一緒に集中し始めた。

「大人たちが忙しいのは、これのせいだよ」
「これ?」
「うん、ここに書いてある」

 少女は自分が見ていたページを指差した。

「[デテクターの使命として見つけ出したキーストーンは、女神に捧げる。キーストーンを捧げる儀式を『奉献式』と呼ぶ。奉献式のために、デテクターの一族の長は、女神の声を聞く教団と共に、人間の長を導く]」
「……?」

 セリアードの青い瞳が、こちらをじっと見つめていた。
 少し傾げたその顔が愛らしくて、少女はセリアードの頭を撫でた。

「難しいね。僕もそうだったから、何度も読み返したよ」
「つまり……女神さまのために、あの青い石を探すってこと?」
「そうだよ」
「その青い石を……そのまま渡したらダメなの?」
「うん。青い石を女神様に差し上げるには、たくさんの人を集めて女神様と会える場所まで行かなくちゃいけないんだ」
「じゃあ、みんな女神さまに会いに行かなきゃいけないから、忙しいんだね?」
 うん。そう答えると、泣き出しそうだったセリアードの表情に、淡い興奮の色が浮かんだ。

「そういうことだったんだ。それならもっと早く教えてくれれば良かったのに」

 嬉しそうに両手を合わせたセリアードは、短く拍手をした。

「セリアードも女神さまに会いたいな。女神さまに会いに行くことなら、セリアードも手伝うよ」
「僕もだよ。だから、僕たちが今やらなければならないことは……」
「伝承詩を覚えることだ」

 扉が開いていたようだった。
 カチャカチャという音もなく、二人きりの部屋の中にテリンヌ家の長老が姿を現した。
 小声で話していた姉妹は、驚いて席を立った。

「長老様!」
「わっ、長老様!」

 セリアードが駆け出し、長老の腕に抱きついた。
 少女もその後を追った。
 長老は手を伸ばしてセリアードを抱きしめ、少女の頭を撫でた。

「我が一族のお嬢さんたち、私を待っていたのか?」
「はい、お待ちしてました」
「勉強してました!」
「なんて良い子たちなのだろう」
「今日は長老様が教えてくれるの?」
「お忙しいのではないのですか?」

 テリンヌ家の長老は、しがみついてきた少女たちを抱きかかえ、書物の置かれた机に近づいた。
 先ほどまで少女たちが座っていたその席に、今は長老を加えた三人が座った。

「お嬢さんたちが退屈しているという話を聞いたよ。一度、一緒に読んでみるとしようか?」
「はい! はい!」

 喜んで応えるセリアードの頭を撫でた長老は、少女たちが見ていたページを再び広げた。

「どれ……[許可された者だけが出入りできる神聖な空中庭園。世界の果てと呼ばれるその神秘的な場所に、女神に捧げるキーストーンを抱いて向かうだろう]」

 ゆっくりと読み進めていた声が止むと、二人の少女は息を呑む。
 長老の襟をギュっと握りしめたセリアードが、小さな声で尋ねた。

「長老様、本当に女神さまに会いに行くのですか?」
「ああ、女神の庭園へ行くんだ」
「女神の庭園?」
「女神ベルティがおられる場所だ。我が一族はいつもそこで祈りを捧げ、キーストーンを奉げてきたのだ」
「どんなところですか? キレイなのですか? 
「綺麗という言葉だけでは言い表せないよ。そこは神聖な場所なのだから」

 少女はキラキラと輝くセリアードの瞳を見て微笑んだ。
 長老は妹の頭を撫でると、次の言葉を詠み始めた。

「[神聖なる場所へは、むやみに立ち入ることは許されない。心に刻みなさい、女神に会う資格を。崇めよ、純白の使徒と英雄の名を。感謝せよ、悠久の蜜と怒りを。そうすれば、女神は応えるであろう……]」

 何度も読み返した詩だが、長老の口から出る詩は、少し雰囲気が違った。
 少女は恐る恐る長老の服の裾を握りしめた。

「長老様からは、この詩はいつも覚えておくように言われましたね」
「そうだったな、ルイン」
「どうして、覚えないといけないんですか?」
「奉献式のためだよ。セリアード」

 優しい答えを聞きながら、少女はゆっくりと口を開いた。

「この詩は……資格のためだとおっしゃいました。女神様の許しを得るためには、この詩を暗唱し、この詩が語るとおりに動かなければならないって」
「よく理解しているね、ルイン」

 嬉しそうに少女を見つめた長老は、頭を撫でた。

「決して忘れることなく、しっかりと心に刻んでおかなければならない。君たちがおばあちゃんの跡を継いで、女神様を祀らなければならないからね」

 姉妹は頷いた。
 長老はしばらくの間、姉妹を両側に座らせたまま、女神の庭園と奉献式の話を続けた。

 二人の少女は熱心に耳を傾け、その伝承詩を覚えようと努めた。
 一人で暗唱するよりも、二人で記憶に刻み込むほうが、より良く身につけられた。

 そして、ついにその日がやってきた。