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私がHonda FCのファンになった理由 (にわかファンの勝手語り)
私はここまでHonda FC絡みで勝手ながら2つも記事を書いてしまいました。にもかかわらず、よくよく考えたらまだ非常に大事なことをお伝えしてないことに気が付きました。
「お前はなんでHonda FCのファンになったんだ!?」
これはいけない。これは失策です。都田サッカー場にも何度も足を運んでいるのに、エアプを疑われても文句を言えません。前回の記事でお伝えし切れていないこともまだまだあるのに、ここで記事が終わってしまう可能性もございます。
そんなわけで、今回は「私がHonda FCファンになった理由」について、書いていきたいと思います。
Q:お前はどうしてHonda FCを知ったのか
さっくり申しますと、私とHonda FCの出会いって、それこそ20と数年前、旧JFLことジャパンフットボールリーグでJリーグに準加盟もしていないのに優勝をかっ攫ったというニュースか何かを見た時なんですよね。まだ「本田技研工業サッカー部」だった時代ですよ。
そこから「浜松からJリーグへ!」なんて話も持ち上がりまして……あ、忘れておりました。私、生まれも育ちも浜松の、れっきとした浜松っ子でございます。そこのところ、よろしくお願いいたします。ただし「浜松まつり」で殴られると死ぬタイプです
閑話休題。そう、「浜松からJリーグへ!」なんて話が出て来たのですが……そういえば両親も「別にジュビロあるし……」みたいな感じではあったんですよね。当時の私には「why?」だったんですけども。そしたらある日突然立ち消えになって、準加盟云々も吹っ飛んで、まるで最初からなかったかのようにすべてが消えてしまいました。
今現在に至るまでもこの件については「某同業他社が浜松市のバックに付いてるからだ」とか、色々と話を聞くこともございますが、結局のところデカいスタジアムとかがなかったのも大きかったのかなあとかなんとかと思う次第でございます。
Q:どうして最近まで見に行かなかった
過去の記事でも言及しましたが、私が初めてHonda都田サッカー場のコンクリートを踏んだのは2019年、天皇杯敗退直後の試合です。
まあ言い訳はたくさんあります。他のことをやっていて二の次になっていたとか、そもそもHonda都田サッカー場の正確な位置を知らなかっただとか。ただ、それらを差っ引いて真実を申しますれば。2019年天皇杯ラウンド16、対浦和レッズ戦における勝利がトドメを差したと言っても過言ではないと思います。
いくらサッカーが比較的ジャイアントキリング、番狂わせの多い球技だと言いましても、J1、J2、J1と三連続の格上喰い、しかもハイライトなどで見る限り決して引いて守って隙を突いたというわけでもない勝ち方。堂々と挑み、堂々と勝つ。
そして本来のリーグ戦、JFLでも堂々と強い。この姿が、長年時々新聞やネットでHonda FCの姿を見ているだけだった人間にトドメを刺したのです。
結果。私は2019年、ようやくHonda都田サッカー場に足を運んだわけです。ただ、その時は人が多くて(ちょうど同類の方が多かったのでしょうか?)、1000人以上来場していた記憶があります。そしてただただスタジアムの雰囲気に圧倒されて、試合を、応援を堪能しきれなかった記憶がございます。ごめんなさい。結果、2019年は諸事情もあって結局その1戦しか観戦できませんでした。
Q:じゃあ最後のピースはどこだよ
そのまま時は流れて2020年。もう一回ぐらい見に行けたら良いなあと思っていたところに事件が起きます。そう。新型コロナウイルス感染症の流行です。とにかく人が集まる行為が規制されるようになったこの事件は、サッカー界にも大きな影響をもたらしました。
JFLは7月まで延期され、その後も当然ながら無観客試合が続き、You Tube越しにしかHonda FCの試合が見れない日々が続きました。そんな中で、私に一つの転機が訪れました。
天皇杯が、Honda FCの試合が無料で見られる。しかも、エコパスタジアムで。
エコパがあるのは袋井市ですが、こんな機会は逃せません。私は足を運びました。そして手拍子応援しかない静けさの中、90分を真剣に見届けて。帰り道、私は気付いたのです。
「あれ? 普段集中力に欠けてる自分が、時を忘れて見ていたぞ?」
と。後から思えば、これが私のサッカー観戦にオチた瞬間でした。そして、「門番」「プロにも匹敵する最強アマチュア」などと言ったネットや新聞からの知識だけに染まっていた自分に、「Honda FC」という存在が初めて腹落ちした瞬間でした。
結果としてこの年、私はエコパで行われた天皇杯全3試合を見届けました(FCマルヤス岡崎戦だけは途中からでしたけど)。筑波大にゴールを決められ、延長直前に逆転するさまも見届けました。そして、決意したのです。
「来年からはHonda都田サッカー場に足を運ぼう」と。
結果、現在(2023年は現時点でホームは全試合観戦・アウェイはFCマルヤス岡崎戦のみ観戦)に至る道のりが出来上がったのでした。
Q:つまり結論を言え
昔から存在は知っていました。でもここまでのめり込んだのはある意味でコロナウィルスのお陰でした。応援の少ない静けさの中でサッカーを集中して見られたこと、それでもHonda FCが強かったこと(2020年のJFLでは、振るわずに4位でありましたが)。この二点が、私をにわかファンに導いたのだと思います。
今後もこの偉大なるアマチュアチームを、陰ながら応援できたら。私はそう、考えているのでした。