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SNSとうまくつきあえなかったんだよね
やっぱりXは向いていなかった。
二回目のアカウント消し。
春を過ぎたら消そうと思っていたアカウントを電気消すのを忘れてたわ!くらいの感覚で……。
違うなぁ。
間違えちゃった漢字を消ゴムで軽く消すくらいの感覚で消した。
一度その扉を開いてしまえば、時々開いて覗くというよりお風呂のようにどっぷり浸かりのぼせてしまうくらい浸かってしまう。
時間を忘れ、本来向き合わなければいけない問題もすり抜けていく。
一度目のアカウント消しの時に学んだことは一体何だったんだろう?と首を傾げても何にもわからない。
ただ今回は
呟いても楽しくなくなった。
楽しくないことはやらない。
楽しくなくなったならやめる。
短絡的で極端。もっとゆっくり考えて答えを出せばいいものを、そういうことができない。
誰かにメッセージをもらったとかそれで嬉しかったという気持ちも嘘ではない。
感謝しています。
そこからの楽しい未来はあまり見えなかった。見えなくなってしまった。
SNSに楽しさを求めても。(笑)
適当に!が苦手な人間があれだけクルクル変わっていく情報が流れていく中に身を投じたところで
ついていくことも不可能。
遅いよ。気がつくの遅いな。
noteもSNSなのに、Xとは別物として捉えている。不器用な私はXとnote両方をこなしていくことが出来ない。
noteの記事をXにシェアしていたら疲労困憊となってしまった。
わかった。反応ばかりを気にして書きたいことを見失いそうになってしまったみたい。
「Xやめまーす!お世話になりましたー」くらい言えたなら。
いやいやいや。
自意識過剰の私はそんな恥ずかしいことはできないっしょ?と半笑いする。
私のことを知らないひとも多くて、
一回消してるんだから、また消えたのね~で終わり。
消えたことも気がつかれないんだからさ。
芸能界だってそうだし。
どんなに有名でも人気があっても、その人がいなくなってしまえば人は忘れていく。
自分の生活を第一に考えて、そういえばそんなことあったよね?と自己の生活スタイルに戻る。
悲しみに暮れようが心がすりきれようが、
それが飛び跳ねるくらい嬉しい出来事だったとしても。
全部過去になっていくんだから。
自分のなかでとてつもなく大きな出来事だったとしても、そんなこと知らないよ?って風に世界は回っていく。戻っていく。
都合のいいように戻す。
それでいいし、それ以上を求めない。
そうやっていままでもリセットしてきた。
後悔もたくさんしたしいっぱい人を傷つけたような気がする。
でもこうやってしか生きられなかった。
精一杯頑張ってもこれしか出来ないんだから、無理なことはしないって決めるしかない。
Xを楽しんでいる人はすごくいいと思う!
これも正直な気持ちだ。
うらやましい。
そのまま楽しめばいいと思う!
否定する気持ちは全くない。
好きなときに好きなことを呟いて交流する。
楽しいよ!って人もたくさんいるんだから。
私はうまくできなかった。
うまくできないしうまくなろうと思えなかった。
うまくやりたいと思うことすらしなくなった。
思い出した。
一回目は楽しかったけれどのめり込みぎてやめたんだ。
今回は楽しくなくなったからやめた。
誰のせいでもない。
自分のせい。
人生もいつ終わるかわからない。
だから好きな方を選ぶ。
そんな風に割りきれないこともあるけれど、決断してみて思う。
noteも好きな時に好きなことを書くんだ。
noteは私の記事を読みたいと思うひとだけが読んでくれる(と思い込んでいる)
だからここにいたい。
書きたい。
読みたいと思って頂けたら嬉しい。
そうやって表現していくしかないんだから。
そういうマインドなんだから。
ね。
何もかも忘れていくようで、小さなしこりとなって残っていくものもある。
そうだとしたら、そのしこりと共に歩いていくしかないんだ。
それでは