私の恩人①
歯が痛い!と思ったのは19歳の頃。学生だった私は保険証と診察券片手に歯科に通っていた。しかし、どんなに問診を受けてどんなに削られても痛みは治らず、歯痛の経験のある方は分かると思うが、あの痛みは本当に耐えられない。矯正のようにいつか痛みは慣れるからというのなら我慢できたであろう。
治療をしても引けない痛みに不安が募っていった。歯科医師は首をかしげて痛がる私の了承を得て神経を抜いた。
いま思えばここで違う選択、例えば歯科を変えるとかしていたら、違っていたかもしれない。抜いてしまった神経はもう戻らない。
痛みは消えなかった。
仕方なく歯科を変えた。食欲がなくなり体重はどんどん減った。学生だった私は教室で何度も倒れた。
痛いとわめく私。両親の心労は計りしれなかったが、そんな事を考えると余裕はなく時間は過ぎていった。痛みは痛みでなくなり違和感となって私の体に残った。トイレを我慢しているような違和感。本当にそうなのだ。
飴やタブレットで少しだけ忘れられるのだけど、口の中が空っぽになると、またあの何とも言えない違和感が顔を出してきて、じっとしているのが地獄であった。
その間、大学病院で検査も受けたしカウンセリングを勧められて受けた。
両親のこと、育った環境のこと、心因性を疑われているのすぐわかったが、どうにもならないこの現状をどうにかしたくて素直に足を運んだ。それでも消えない症状。
もう、死んだ方が良かった。
これ以上周りに心配はかけたくない。
無理やり食事を取って笑って日々をやり過ごす。
気がついたら就活をして、その得体の知れない違和感と一緒に仕事をした。誰にも言わなかった。言えなかった。
友達はとっくに治って元気にやってるねーと思っていただろう。普通に旅行に行き普通にカラオケに行き、普通に彼氏と会い、普通に職場の愚痴を同僚と分かち合った。
普通という言葉が普通に使われていた時代。
私は普通に憧れて、この人は歯が痛かったり、違和感を感じていたりしないの?と毎日思っていた。
そして23歳になった頃、例の神経のない銀歯を被せられた歯の銀歯が取れた。
私は希望というキラキラしたものを直感で感じて、踏み込んだことのない評判もよくわからない職場から1番近い歯科へ駆け込んだ。
レントゲンを撮って、歯の中が虫歯だと言われて、小躍りしたくなったのだ。
やっと原因がわかった。やっとやっとだ。
根幹治療が始まった。
ここから長い長い私の人生を変えるドラマみたいなしかもダークで頭をかきむしりたくなるような日々が待っているなんて思わなかった。
長いので次回に続きます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?