noteをはじめたこと
気がついたら毎日のようにnoteを書いている。
ペース配分しないと、飽きてやめるか忘れていくかのどちらかになりそうなので、
これを書いたらペースを落とそうかなぁと思う。
そもそもnoteを書こうと思ったきっかけは
X(Twitter)にはまり出した私を見た娘にnoteでも書いてみたら?
と言われたのがきっかけ。
noteというものを知っていたし、noterさんと呼ばれる人達の達筆で文才があり、センスの固まりみたいな文章を時々読みながら、無理だよな
と思っていた。
子供の手が離れて、趣味などを持つ人が増えるように、自然の流れでなんとなく選んだものが文章を書くということだった。
誰かに話したい。でも話すほどのことではない。みたいなことを書こうと思った。
そして何よりもまずは恩人のことから書きたいと思った。
恩人への感謝や思いを表に出す作業は、最初は余裕だった。
書いていくうちに、あれもこれも思い出してきて、その時の描写や自分の気持ちなんかは
噴水のように次から次へと溢れだした。
ずっと忘れていた会話などもセリフのように出てきた。覚えていた。
このテーマは、とても懐かしく胸が暖かくなる一方でドボンと海の底に放り込まれたような怖さと得たいのしれない場所に、再び自ら飛び込んでいく作業でもあった。
楽しかったことを書いている時はいいけれど、辛く苦しい場面はそのときは大丈夫でも、次の日動けなくなったりした。
正確には動けてはいるけれど動いている実感がなかった。
トラウマを排出するときは、辛い出来事が昇華されていくぶん、脳疲労の様な状態を起こしてあっという間に昔の空間に連れ戻されてしまう。
トラウマについて、勉強したことはないが自分の経験値として、なんとなくなんとなくだけど一気に書き出すことに不安を覚えた。
この文章もそうだが、最初に書いたあの五章からなるエピソードは相当グチャグチャだ。
少し時間を置こうかなと思ったけれど、
そうすると今度は全部忘れてしまうような気がした。
恩人の事も、あの日々の思いも、受けた慈しみも、命を絶ちたいともがき苦しんだ日々も全部。
忘れる前に書いてしまおう。
それが、
恩人について1~5となった。
他の記事はまあ、日常の些細なこと。家族のこと。
友人とのやり取り。
そして私とは切っても切り離せない嵐のこと。
これもまた勝手に手に汗を握った。
現在もなおトップに君臨する彼らのことを書くってどうなんだろう?
そして何を書く?今までの活躍ぶり?
嵐のこれから予想?
嵐への愛?
どんな愛だろうか?
ほれまた自意識だよ、
私のアプローチを誰が読んだりするのだろう。
でも、誰にも読まれたくないわけではない。
私はここで自分は正しいファンだとは思わないと言い切った。
正しいファンがなんなのかさえわかっていないと書いた。
今も変わらない。
メンバーが結婚したときの界隈の荒れようは酷かった。
私が1番、ん?と思ったのはグッズ代を返してほしいという書き込みだった。
(まるでカツアゲにでもあって、相手にトンズラされたみたいな言い草だな。自分で出したお金だよね。自分で責任とれよ)
(推しが結婚したらグッズ代返金システムね!バカらしい)
毒づいた。心の中でね。
子供を強く愛する。無償の愛というやつ。
愛は見返りを求めない。
アイドルを強く思う。好きだと思う。自分のすべてで推す。
見返りは?求めない。
見返りを求めたら結婚なんてしてほしくないと思う。ずっとずっと私達のアイドルでいてほしいと願う。
それは歪んだ形となり、
歪んだ愛と呼ばれるようになり、本人を攻撃し一緒に応援してきた仲間を攻撃し私は正しいと言い出すようになる。
歪んだ愛
略して 歪愛
こんな日本語ないんだよな。
誰か作ってくれないかな。
何を言ってるのかまたわからなくなってきた。
また私はビールを飲んでいる。
お酒を飲みながら何かを書くのは怖い。
でも書いてしまった。
読み返したけど、合っているのかわからない。読み返した意味ないじゃんね。
それでは