東洋医学の推し
尋常ではないくらい身体の異変に敏感、そこからの強烈に膨れ上がっていく不安感、焦燥感を重石のように持ち続けている自分は、とても始末が悪い。
そんなわけで、ドクターショッピングを重ねに重ねウロウロさ迷って結局なんでもありませんでした!ということが度々起きる。
たちまち不安定な日常から解放され、病は気からの場合はすっかり元通り。
人間ドッグという言葉に支配されていた、毎日はなんだったのだろう?
失笑。これしかない。
なので、診てもらったドクターの数は自慢できる。
うそ、そこまでではないが病院が好きなのか?と言われても仕方ない。
おーい!って言いたくなるような(悪い意味で)ドクターもいたし、好きだ!これは恋だ!(過去記事)もいたし、腕が良いとか悪いとか。
どんな善人も悪人も所詮は人間だみたいな事を言い出せばキリがない。
でもやっぱり優しい人が良い。
パソコン打ちは仕方ない。時代だから。
一回は目をみてね、先生。
かかりつけ医を持った方が良いと言われるように、腰痛(ヤバイやつ、動けないくらいの)のときは、ここ!という先生がいらっしゃる。
二年前にしばらく通っていた。
正しくは産後からなので、凄い年数。
カイロプラクティックで、先生は私と同世代の男性。奥様もお手伝いをしていらっしゃる。
私は隠れて先生を「推し」と呼んでいた。
その「東洋医学の推し」は家からだと、遠い。
電車に乗っているうちに腰が痛くて座ってるのも立っているのもきつくて、だからといって行かないという選択肢はない。
何度も治してもらったゴットハンドを求めて、また、電車に乗る。
先生は無口だ。私の施術のときは多分。
横になっての施術の時だけは、人となるべく話をしたくない私の気持ちを見抜いて、先生は話さない。もちろん最初のカウンセリングは話すけれど。
私が「昨日は雷がひどかったですね」というと
「こちらも酷かったです。」それだけ。
心地よい。
何度通っても、二言くらいしか話さないとかざらにあった。
いつだったか聞いた。
「先生ってあまり話しませんよね?いいんです、話してほしいとか欲しくないとかそういうことではなくて。それって人に合わせて変えていますか?私も、これは仕事柄ですけど、この人は聴いてほしい人だから黙る。この人は対話をしたいから答える。この人は話しかけてほしくなさそうだから話さないとか変えるんです。そういうことですか?」
「そうですね。やっぱり疲れてきてて口もききたくないって人もいますからね」
ポツリポツリ話す。
そのポツリポツリが私は好きで、先生の趣味であるスポーツの動画見ましたよ!とか話してしまう。
格闘技みたいなダンスのような、スポーツの名称も忘れてしまった。
みても良くわからなかったから
「ルールってあるんですか?」
と聞いた。
先生は「倫理観かな」と答えた。
もっとわからなくなった。
倫理観?万人が同意する普遍的な善意?
それを、立場によって対立が生じるの?
「はぁー」としか言えなかった。
わからない。
スポーツのルールを聞いて、倫理観と言われたのは初めてだった。
それを求めて世界中を旅しているというのだから、わからなくて当然かもしれない。
次に行くことがあっても、そんなに話はしない。先生も自分の話をしない。
聞いたら話してくれる。とても、穏やかな空気の流れている空間がいつもそこにある。
それでは