台湾のコロナ禍初期 【ADHDは荒野を目指す】
8-21.
ADHDであるために、日本の社会になじめなかった僕は。
バックパッカーとして二十代を過ごした後、台湾人女性と結婚したのを機に台北に移住、日本人向け学習塾を開業。
その後十年近くの間、順調に黒字を上げ続けます。
しかし、台湾人妻と離婚することになり。
さらにその数年後、自己管理の出来なさの為に、元妻の家族によって三千万円を超える資産や、会社の権利等、全ての物を奪われてしまう。
それでも、親からの借金を元手に、どうにか生活を立て直し。
大手塾に裏切られたり、不法就労中に調査員に踏み込まれたりなどの紆余曲折はありましたが。
一年半後には新たな塾を創設、軌道に乗せることが出来ました。
元妻の家族相手の裁判は、会社ごと奪い取られてしまっていたため必要な証拠全てを相手に握られてしまっていたこともあって、完全な敗北。
折しも、父の死という出来事もあり。
それ以上の抵抗を諦め、心機一転、新しい生活を始めようと決め。
週末を利用して、頻繁に中国各地に短い旅に出る、といった。
平日会社員、休日バックパッカーという、理想的な生活を手に入れます。
――しかし。
そんな平穏な日々に、突然、影が差します。
新冠肺炎、別名武漢肺炎。
日本語で言うところの、新型コロナ肺炎が、流行し始めたのです。
当初。
台湾に、それは殆ど入って来ませんでした。
外国からの入国者の中に、陽性反応が出ることが多少はありましたが、市中感染は一切報告がないまま。
それでも、二十年前に流行ったいわゆる『SARS』のトラウマからか。
台湾は騒然とします。
厳重な警戒態勢を敷き。
外国からの入国者に、指定ホテルでの二週間の完全隔離を命じます。
これにより。
僕は、中国にも日本にも行けなくなりますが。
それ以外は、ごく平穏に、普通の暮らしが続きます。
――けれども。
やがて、日本での患者が爆発的に増えてきます。
台湾では、相変わらず患者は殆ど出なかったものの。
陽性判定の基準が他国に比べて相当に緩い――無症状なら陰性と判定するなど――ことが一般に知れ渡ったり。
完全隔離の筈の帰国者が、平気で出歩くケースが多発したり。
南洋から戦艦で帰国した海軍兵士が、台湾内で数日自由行動をしたのちに、入国前に陽性判定を受けていたことが判明したり。
様々な出来事があり。
折しも、台湾大統領選挙が近づいていて。
その二年前の地方統一選挙で、大惨敗していた与党・民進党は。
コロナ対策に成功することで、失地を回復しようと目論んだようで。
徹底的な対策に売って出ます。
その一つが、マスク着用の義務化。
公共の場所だけでなく、屋外でもそうで。
しかも、自家用車を一人で運転していた男性が、マスクをしていなかったことで検挙されたケースも発生。
さらには、陽性判定が出た場合、その人物の、判定を受けるまでの一週間の行動が、全て事細かく公表される。
プライバシーも何もあったものではありません。
それ程厳重な対策をしたために。
台湾人皆、こぞってマスクを買い求め初めて。
当然、相当なマスク不足に陥ります。
そこで、一人当たりのマスクの購入数を制限。
しかも、天才IT大臣と呼ばれる、オードリー・タンが、どの薬局にマスクがいくつあるかが一目で分かるアプリを即座に開発。
皆に出来る限りマスクが行き渡るようにします。
――が。
これはあくまでも、台湾人に向けてのもの。
マスクの購入数に関しては、一人一人が持つ健康保険証を元に管理をされていたのですが。
そもそも、台湾の健康保険証を持てない外国人は多い。
駐在員等、台湾で仕事をしている外国人は大丈夫なのですが。
例えばその家族は、『最近六か月で一度も台湾の国外に出ていない』という条件を満たしていなければ、台湾の健康保険を申請すら出来ない。
駐在員の家族は、子供の春休み、夏休みなどの長期休暇の度に、日本との間を行き来するもの。
この条件を満たせない人が多く。
日本の保険でカバーしているケースが殆どです。
そして、こういう人々が、台湾の健康保険証を持っていないがために、マスクを購入出来ないのです。
幸い僕には、健康保険証はありましたが。
しかし、マスクを行き渡らせるためのアプリがある、とは言っても。
そもそもスマートフォンを持っていなければならないし。
これの扱いも、中国語であるために、日本人はともかく、非漢字圏の外国人には、とにかく難しい。
僕はそれを使うことは出来ましたが。
何とか在庫のある薬局を見つけても、そこには長蛇の列。
家族単位で販売してくれる為、大概大家族で生活している台湾人にしてみれば、その中の誰か一人が並べば済むのですが。
一人暮らしで、かつ仕事がある僕にとっては、行列に長時間並ぶことが非常に難しい。
マスクの義務化の裏には、こんな様々な問題があり。
さらに。
陽性患者が出た場合、その濃厚接触者は指定ホテルで二週間隔離という政策は、日本と同じだったのですが。
この隔離期間に外出してしまうケースが頻発したこともあり、台湾政府は、隔離破りには何百万円という罰金を規定。
すると。
ある地方都市にて、濃厚接触者である人々がホテルに隔離された際。
それは、台湾に良くある、雑居ビルの中層階だったのですが。
そこで、火災が発生。
消防車のサイレンの音に気付いた雑居ビルの住民は、急いで逃げ出したのですが。
隔離されている人々は、気軽にそれが出来ない。
ただのボヤだった場合、それで数百万円の罰金を取られてはシャレにならない――そう考えてしまったのでしょう。
何人もの人が逃げ遅れ、焼死してしまうのです。
亡くなった一人の老婆などは。
ホテルに入った後、自分の孫に向かい。
――こんな綺麗なホテルに泊まれるなんて、生まれて初めて。
というメッセージを送ったのが、最期の言葉になってしまいます。
こんな具合に。
――日本政府に比べて、台湾政府は対策が早くてきっちりしている。
なんて、日本のニュース記事を読むたびに。
それは、一部の人々を切り捨てて行われていることなんだよ、と。
もどかしい思いをしてしまいます。
――それでも。
日本に比べると、台湾には、コロナウィルスがそれ程広まってはいないのは確かで。
マスクに関しては、一つのマスクを使いまわすことで何とかカバーし。
身の回りに陽性患者が出ることもなく。
僕個人で言えば、何とか、安定した生活を送ることは出来ており。
そのことに関しては、台湾政府に感謝していたのですが。
ある時。
ついに、台湾に大量のコロナウィルスが流入してしまい。
僕の商売は、大きな打撃を受けることになるのです。