石窟と恐竜と、喧嘩と浮気と 【ADHDは荒野を目指す】
2-3.
洛陽の街に降り立ったチャンと僕は、観光に出かけます。
最初に訪れたのは、約千五百年前に造られた石窟寺院、龍門石窟という場所です。河原の岩壁数百メートルに渡って、壁に掘られた仏像が並んでいます。
なかなか壮大な光景で、わくわくしながら眺めて行きますが、結局のところ、ただ巨大な仏像が並ぶだけです。しかも無数に。さして仏教に詳しい訳でもないのですから、次第に飽きてきます。さらには八月、日差しの下はかなり暑い。前を行くチャンも、途中からあからさまに歩くペースが速くなりました。
それでもようやく一通り見終わった所で、チャンはその石窟の奥にある建物を指さしました。入場チケットは、この石窟とあの博物館のセットになっているので、あれも見ておこう、と。
石窟に付属する博物館、どうせ退屈な場所なのだろうと思いますが、セットであるのなら仕方がないと、僕は同意します。
ところが、その博物館に入るなり、僕は驚愕します。
ガァァァァァァァォォォォォォ!
そんな大きな音が鳴り響いているのです。何度も何度も、そこらじゅうから。
何だこれは? 驚きながら左右を見回し、さらに驚きます。高さ十メートルはあろう巨大生物が、僕達を取り囲むように並んで立っているのです。
勿論、生きているものではありません。それは恐竜――木と紙で作ったのが一目で分かるハリボテ達。鳴り響く音は、何か所かに置かれたカセットデッキが発しているもの。
それは、「恐竜記念館」なる名前の博物館――というよりも、展示室でした。ただただ、似たような安っぽい恐竜が並び、単調な鳴き声が繰り返されるだけの場所です。
龍門石窟なる、誰がどう見ても壮大だと感じる遺跡の傍らに、何故そんな建物があり、何故石窟と抱き合わせてチケットが売られるのか。
訳が分からない。
分からないながらも――いや、むしろ訳が分からないことをが楽しくて、僕は元気よくその恐竜達を見て回りました。
次にチャンと僕が向かったのは、関林廟なる場所です。約千八百年前の人物で、今でも各地に祭られている、関羽なる人物の首が祀られている場所です。
ただその入場前、龍門石窟から関林廟まで乗せてくれたバイクタクシーが、最初の約束以上の金額を請求してきたせいで、チャンと運転手の間に口論が発生、周囲の住民から警察まで取り囲むような事態になってしまいます。
ADHDの僕は、ほんの数百円でどうしてこんな面倒なことをするんだろう――そんなことを思いつつ、そうチャンに告げることも出来ず、輪の外で蚊の群れと戦いながら、少し苛々しつつ闘いの終焉を待ちます。
結局見事に最初の値段で押し切り、意気揚々と歩きだしたチャンに従い、僕達はその廟に入りますが――そこは想像以上に退屈な場所でした。関羽の首が展示されている訳では勿論ありません。ただ、小さな建物と、首塚だという小高い丘があるだけ。
驚いたのは、その首塚の周囲が落書きだらけであることです。カップルらしき名前と相合傘のようなマーク、或いは長寿平安を祈る文章、そして「呪」を意味する、「咒」という巨大な文字。そんなものが一面書き連ねられている。
これも異国文化だ、と僕は感心しながら、その落書きを子細に見て回りました。
昼過ぎに僕達は洛陽駅に戻り、屋台で昼食を取った後、列車に乗り込みました。
今度の移動は八時間程度。寝台車ではなく、普通の座席です。
カードゲームに興じて大声で騒ぐ、食べ終えた後の弁当やら痰やらタバコの吸い殻やらを通路に捨てる、小さな子供はその上に小便をする。
それは、噂通りの中国の列車です。勿論不快で堪りませんでしたが、幸い、僕は疲れ切っており、すぐに眠りに落ちることが出来ました。
夜十一時、列車はようやく西安に着きました。既に夜遅く、どうすれば良いのか不安になりますが、チャンはさっさと駅のすぐ前にある宿に入り、二人部屋に泊まろうと提案してきます。料金はやや高めでしたが、拒絶出来る状況ではありません。僕達はそこにチェックインしました。
駅前の屋台で遅い夕食を終え、シャワーを浴び、いざ眠ろうとした時、チャンが部屋の電話をかけ始めました。
チャンは大声で笑います、受話器の向こうから若い女性のものらしき笑い声が聞こえてきます。
その日、ことある度に目にした光景です。ソウルに妻と子供がいると言っていたが、奥さんとは本当に仲がいいんだな。ぼんやりそんなことを思っているうちに、ふと気付きました。チャンも、受話器の向こうの女性も、中国語を喋っていることに。
韓国人の奥さんと、中国語で会話するだろうか?
もしかしたらこれは、中国留学中に出来た浮気相手なのでは?
真面目で親切で頼りがいのある、素晴らしい人格者であるとしか思えなかったチャンの、別の面に僕は気付いてしまいます。
色んな物があり、色んな人がいる。完全な聖でもなく完全な俗でもない、色んなものが混ざり合っているのがこの世界で、だからこそ旅は楽しいのだろうな。
そんなことを思いながら、チャンの笑い声を背に、僕は静かに眠りに就きました。
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