空港で鬼ごっことフラッシュモブを堪能するADHD 【ADHDは荒野を目指す】
8-18.
ADHDであるために、日本の社会になじめなかった僕は。
バックパッカーとして二十代を過ごした後、台湾人女性と結婚したのを機に台北に移住、日本人向け学習塾を開業。
その後十年近くの間、順調に黒字を上げ続けます。
しかし、台湾人妻と離婚することになり。
さらにその数年後、自己管理の出来なさの為に、部下によって三千万円を超える資産や、会社の権利等、全ての物を奪われてしまう。
それでも、親からの借金を元手に、どうにか生活を立て直し。
大手塾に裏切られたり、不法就労中に調査員に踏み込まれたりなどの紆余曲折はありましたが。
一年半後には新たな塾を創設、軌道に乗せることが出来ました。
元妻の家族相手の裁判は、会社ごと奪い取られてしまっていたため必要な証拠全てを相手に握られてしまっていたこともあって、第一審では完全な敗北を喫しましたが。
それまでかなりのお金と労力を費やしてしまっていたこと、新しい会社が順調であることなどから、それ以上の戦いを諦めることに。
折しも、父の死という出来事もあり。
心機一転、新しい生活を始めようと決めます。
まず、週休ゼロ日から週休一日、週休一日半、週休二日と、自分の休みを増やす。
ただ、休みが出来たところで、何もすることはありません。
一緒に遊ぶ友人もいない。
日本人のスポーツサークルに顔を出したりはしましたが、酒と女、エネルギッシュな駐在員達の文化に僕はついて行けない。
気付いたら、家でゲームをしているだけ。
流石に、四十半ばでこれは侘しい。
何か外で楽しめることはないか――そう考えて、ようやく僕は、自分がバックパッカーだったことを思い出し。
週末の二泊三日で、高雄や台南、花蓮、埔里などの台湾内の都市を訪れます。
しかし、何だかんだ、台湾はそれなりに先進国で、適度に整備されていますし。
もう十年以上台湾に住んでいますし。
何より、台湾は狭く、それ程特別な自然もなければ、それ程特別な歴史もない。
波乱もなければ、絶景もない。
台北とそれほど変わらない街並みを、一人で歩き。
普通の屋台で、平日と変わらない食事をするだけ。
新奇な物ばかり求めるADHDである僕にとって、それは本当に退屈な時間で。
楽しい旅にはならない。
けれども、そこに思わぬ副作用がありました。
時代の変化にようやく気付いたのです。
大陸人――中国人観光局が非常に多い。
中国人と台湾人は、基本的に同じ言語を話す人々ですが、その訛りがかなり違う為、少しでも慣れていれば、簡単に聞き分けられます。
僕が台湾に移住した当時は、中台対立が激しく、中国人観光客など一人もいなかったのですが。
改めて、街中や観光地に出かけて見回してみると、中国人だらけです。
そして、その中国人観光客目当てのお土産店だらけ。
そして、調べてみると。
かつては絶対にあり得なかったのですが。
台北の空港から中国各地へ行く直行便が、非常に数多く飛んでいるのです。
それを知った僕は、早速、中国各地に向かいます。
北京や上海、香港などに加え、九塞溝や黄龍、張家界、鳳凰等、かなりマイナーな観光地にも、三泊四日、二泊三日などの日程で往復できます。
流石に広大な国家で、名所は無数に存在する。
しかも近年、内需が拡大したお陰か、観光地の整備も急速に進んでいるようで。
かつては秘境と呼ばれたような土地にも、比較的たやすくアクセス出来る。
お陰で大勢の騒がしい中国人に囲まれることにはなりますが。
想像を絶するような、とんでもない光景を簡単に目にすることが出来ます。
しかも、バックパッカーだった若いころと違い、ある程度中国語が話せる為に、旅の自由度も格段に上がっています。
また、スマートフォンがあるため、道に迷うことも少ないし。
交通手段やホテルの予約も事前に出来ている。
効率よい旅になり。
かなり充実した週末を送ることが出来るようになります。
ただ、それでも。
流石に中国です。
二十年前のバックパッカー時代ほどではありませんが、多少のトラブルはある。
例えば。
四川省の山奥の空港でのこと。
予約していたフライトが、機材の故障で飛ばないと言う。
勿論、次の便や他社のフライトに振り替えることになるのですが。
不運なのか故意なのか分かりませんが、僕のシートだけ、他のフライトに準備されなかったのです。
僕は当然怒り。
その航空会社の男性社員に詰め寄ります。
するとその男性社員は、困惑した顔をした後。
手配をするので、ちょっとここで待っていてくれ、と言って奥に引っ込む。
僕がおとなしくその場所で待っていますが。
いつまで経っても、男性社員は戻って来ない。
三十分ほど放置された僕は、流石に苛立ち。
空港内のその会社のオフィスを目指しますが。
途中、何気なく空港内食堂に目をやると。
その男性社員が、数人のフライトアテンダントと楽しく昼食を取っているのです。
憤慨した僕が、店の中に入り、男性社員に詰め寄ると。
男性社員は慌てて立ち上がり。
小走りで逃げ始める。
僕は急いでそれを追う。
まさかの、空港内鬼ごっこが始まります。
けれどもやがて男性社員は、『関係者以外立ち入り禁止』の扉をくぐって、奥に消えてしまうのです。
流石にもう追いかけられない。
やむを得ず、その航空会社のオフィスに向かいますが――そのオフィスは、既に営業終了済。
大声を出しても、扉を叩いても、誰も出てこない。
電話を鳴らしても、誰も出ない。
そうこうしている内に時間が過ぎる。
その日の内に、省都の成都に戻らないと、翌日台北に戻ることが出来なくなる。
もう、どうしようもありません。
その航空会社に文句を言うのは、台北に戻ってからすることにし――とはいえ多分、面倒になってそんなことはしないだろうな、と思いつつ。
とりあえず、一時間後の、他社のフライトチケットを取り。
待合室で、またあの男性社員が現れないかと、周囲に目を光らせていると。
突然、目の前で、男性が大きなケースを開け。
中から、バイオリンを取り出します。
これはもしかして――あの、フラッシュモブという奴か。
トラブルあって苛々している観光客の為に、プロのミュージシャンが美しい音色を奏でてくれるのか。
そう思ってワクワクしている前で、その男性は、待合室のベンチの上に、楽譜を並べ始め。
おもむろに、弓をバイオリンに当てます。
――流れて来たのは。
ど素人の僕でも、一瞬でど下手だと分かる音色。
音は乱れるし、途切れるし。
僕は唖然とします。
そして、流石に目の前の僕の、そんな表情に気付いたのか。
男性は、三十秒ほどで演奏をやめると。
バイオリンをケースにしまい、楽譜を回収すると、そそくさとどこかに去って行ってしまったのでした。
――そんな具合に。
流石に中国、どれだけ真面目な旅をしても、ある程度は奇妙な出来事に必ず遭遇出来る。
週末に、そんな非日常を味わい。
平日に、気楽に仕事をする。
そんな、穏やかで楽しい日々が続きます。
今後も、こんな風に過ごせればいいな――僕はそう思いすらします。
――けれども。
その時には、全てが終わる――全てを終えざるを得ない日が、間近に迫っていたのです。
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