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長距離列車という地獄 【ADHDは荒野を目指す】

 2-2.

 僕の旅は、順調なスタートを切りました。

 宿の予約などはしていませんでしたが、同じ船室だった学生と共に、ガイドブックがおすすめする宿に行き、身振り手振りで意思を伝えるだけで、簡単に部屋は確保出来ました。
 そして僕達は上海の街に出て、食事に行き、観光をしました。既に急速な発展を始めつつあり、巨大な建物が多く完成するか、建設中であった当時の上海ではありましたが、まだまだ裏通りも多く、上半身裸でマージャンをしている老人たち、良く分からない物を売っている店、沢山のお札の貼られた廃屋などなど、僕の好奇心を満足させてくれるものがたくさんありました。

 勿論、食堂で注文したものと全く違うものを出されたことや、道端に落ちている何か汚いものを何度も踏んでしまったこと、トイレが酷く汚かったこと、列車のチケットを取るのに三時間も並ばなければならなかったこと、そして何より夏八月、暑くてたまらなかったことなど、それなのに宿には扇風機しかなく、暑くて眠られなかったことなど、不快なこともたくさんありましたが、それも旅の醍醐味であるように思われました。

 けれども、順調だったのはそこまでです。
 二日目、友人になった学生と別れを告げ、一人寝台列車に乗ったところから、地獄が始まるのです。

 当時の中国の列車は、とにかく不潔だと聞いていました。最初からそんなハードな思いはしたくないと、最高ランクではないものの、多少値段張る寝台車のチケットを取っていました。お陰で、不潔さに悩まされることはありませんでした。
 しかし、別の物が僕を苦しめるのです――ADHDが最も苦手とするもの、「退屈」です。

 それまでの生活において、僕は常に退屈に苦しめられてきました。
 退屈な単純作業や、興味のない授業を聞くのが苦手であるのは、誰にでもあることでしょう。
 でも、僕はそれに止まらない。電車に乗っている時間、歩いている時間、風呂に入っている時間、歯を磨いている時間、食事をしている時間、布団に入ってから眠りに落ちるまでの時間。それら全てが退屈で、苦手なのです。可能な限り、そんな時間を経験せずに暮らしたのです。

 だから僕は常に、他の何かをしていました。誰かといる時は絶え間なく喋り続ける。話し相手がいない場合、部屋にいる時はゲームを、それ以外の時は読書をしている。
 煩い奴だと嫌われても、ゲームのし過ぎて寝不足になっても、本に夢中になって列車を乗り過ごしても、僕はそうやって退屈を凌いできたのです。

 けれども、この中国の長距離列車には、退屈しのぎの手段が一切ないのです。
 『中国人は好奇心旺盛でおしゃべり好きなので、乗り合わせた人とすぐに仲良くなれます』
 ガイドブックにはそう書かれていたのに、実際にはそんなことは起こらない。僕が思い切って片言の中国語で話しかけても、全く反応が返ってこないのです。
 やむを得ず、窓の外を見ます。そこには異国の情景が広がっていて、十分に目を楽しませることが出来ます。けれどもそれも、暫くの間だけ。どこまで行っても似たような風景が続くのですから、当然飽きてきます。
 仕方なく、持ってきた本を開きます。でも、その時に持ってきた本は二冊だけ。それに対して、その列車旅は三十二時間もの長きに渡るもの。あっという間にそれらを読み終えると、あとはただひたすら退屈な時間だけが残るのです。
 そこで僕は、眠ろうとしますが――それもうまく行きません。その車室は、左右三段ずつ、六個のベッドがある部屋なのに、空調と言えば扇風機が一つあるだけ。暑くて堪りません。しかも、同部屋の客の友人達でしょう、大勢の中国人が出入りして、常に大声で何かを話しているせいで、煩くてたまらない。その上、人が増えたせいでさらに暑くなる。――とてもではありませんが、眠るどころではないのです。

 都合三十二時間もの長旅であるのに、暇つぶしも出来ず、眠ることも出来ない。
 ADHDである僕にとって、それは本当に地獄のような時間でした。


 それでも、同室の韓国人が、僕が日本人であることに気付き、英語で話しかけて来てくれたことで、その退屈も少し紛れます。
 チャンと名乗った彼は、中国の大学に留学している三十がらみの男性で、夏季休暇に中国内を旅しているところだと話します。僕もまた、自分が大学生で、夏休みの間旅に出た、と告げます。
 そうして僕達は数分話し合いましたが、盛り上がることはなくあっさり終わりました。

 彼の英語はかなりうまかったのですが、僕がそれを聞き取れないせいです。そもそも僕は、ADHDの人に多くある障害――聴覚情報処理障害、いわゆるAPDを持っています。周囲の雑音にすぐに気を取られる分、日本語ですら聞き取れないことが多いのです。ましてや、煩い列車の中、聞きなれない言語、僕に理解出来る筈もありません。
 そうして、ささやかな退屈しのぎも終わり、僕はまた地獄へと戻って行きました。

 それでもどうにか退屈を凌ぎ切った二日目の夜、チャンがまた話しかけて来ます。彼は提案をしてきました。一緒に洛陽を観光をしないか、と。
 僕達両方とも、西安行きの切符を持っていました。洛陽はその手前にある街です。
 この列車は明日早朝洛陽駅に到着する。そこで下車して観光をし、昼過ぎ駅に戻ってまた列車に乗れば、明日のうちに西安には到着できる。一人での観光は危ないし、是非一緒に行かないか。そう提案してくるのです。

 僕はその話に飛びつきました。ただでさえ、この退屈な列車から早めに脱出できることになるのです。それも、出会ったばかりの外国人に誘われて予定を変更する。如何にも「旅をしている」と感じられる、凄く魅力的な行為に思えます。

 そして朝五時、僕達は洛陽の駅に降り立ちます。
 僕達は、駅前広場にあった屋台で、お粥を注文します。チャンは近くにあった公衆電話で、誰かに電話を掛け始めました。僕は椅子に腰かけ、ぼんやりと街を眺めました。
 朝靄の中、けたたましい音を鳴らしながら行き交う車。次々と通り過ぎて行く自転車の群れ。痰を吐き捨てながら談笑する人民服の老人達。大きな荷物の上に寝転がる列車待ちの人達。早朝なのに、その駅前はひどく賑やかです。
 と、突然一頭の猿が現れ、人々の前で芸を披露し始めます。人々はそれに喝采を浴びせ、背後の男に小銭を放り投げる。
 その向こうでは、中年男女が大声で言い争いを始める。夫婦なのでしょう、お互い掴みかからんばかりの勢いで罵り合っている。人々がそれを取り囲み、楽しそうに囃し立てている。
 屋台から、お粥の匂いが漂ってくる。

 そんな情景を眺めながら、僕は感じます――ああ、僕は旅をしているな、と。
 それまでただ退屈に苦しんでいた僕の心が、ようやく沸き立ってきました。









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