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巣ごもりも出来ないADHD 【ADHDは荒野を目指す】
8-23.
ADHDであるために、日本社会に馴染めなかった僕は。
バックパッカーとして二十代を過ごした後、台湾人女性と結婚したのを機に台北に移住、日本人向け学習塾を開業。
その後十年近くの間、順調に黒字を上げ続けます。
しかし、台湾人妻と離婚することになり。
さらにその数年後、自己管理の出来なさの為に、元妻の家族によって三千万円を超える資産や、会社の権利等、全ての物を奪われてしまう。
それでも、親からの借金を元手に、どうにか生活を立て直し。
大手塾に裏切られたり、不法就労中に調査員に踏み込まれたりなどの紆余曲折はありましたが。
一年半後には新たな塾を創設、軌道に乗せることが出来ました。
元妻の家族相手の裁判は、会社ごと奪い取られてしまっていたため必要な証拠全てを相手に握られてしまっていたこともあって、完全な敗北。
折しも、父の死という出来事もあり。
それ以上の抵抗を諦め、心機一転、新しい生活を始めようと決め。
穏やかな日々を得ますが。
そこに、コロナ禍が始まってしまう。
様々な混乱の中、飲食業やホテルなどが次々営業停止に。
観光夜市における外国人向けの屋台等が、次々閉店して行くのを目の当たりにする。
そして、ついに塾も営業停止に。
しかも、政府からのその補償も一切存在しない。
リモート授業を行うようにはしますが、中々うまく行かず。
僕の会社は、経営不振に陥ってしまいます。
――とはいえ。
僕は、それ程の焦りは覚えていませんでした。
何せ、小さな会社です。
家賃もそれ程でもないし、社員も三名のみ。
リモート授業の売り上げだけで、利益こそ上がらないものの、大きな損失も出てはいません。
それに、こんな状況がそうそう長く続くとも思えない。
また、ADHDである僕は、金銭の管理が出来ませんが。
そもそも、浪費をする癖がありません。
バックパッカー時代、出来るだけ安い宿に泊まり、出来るだけ安い食事をとり、出来るだけ安く移動をしていたのは、予算が限られていたから当然だとしても。
台湾の塾経営で大いに儲かっていた時代も、部屋以外には最低限のお金しかかけなかったものです。
ほんの少しでも高いものを買うと、罪悪感を感じてしまう。
これは恐らく、家庭環境のお陰でしょう。
両親共に、かなりの節約家で。
子供のころから、ゲーム機をはじめとした娯楽品を殆ど買って貰えなかったし、旅行に連れて行って貰っても、近場の一泊二日が精いっぱい。
父に至っては、人生を通して、一度たりとも外国旅行に出かけなかった。
そんな家の子供でしたから、とにかく節約して過ごすことに、それ程の苦痛を感じません。
ただし、服や靴、カバンなどはボロボロで、社会人として大いに恥ずかしい格好になるのですが。
それにしても、台湾にいる限り、問題はありません。
短パンにビーチサンダルで高級デパートに入ることが出来るし。
しかも、日本人だということで特別待遇すら受けられる。
見た目はそれ程気にしなくても良い土地柄なのです。
貧乏であることに、苦痛を感じる必要がないのです。
ですから。
仕事が減ったことで、僕はむしろ多少ホッとしていました。
今まで、生徒が一人でも減れば、僕はかなりの焦りを覚えたもので。
ああしておけば良かったこうしておけば良かった、これからはもっと頑張らなければ、もっともっと仕事をしなきゃ。
そんな風に思って、かなりストレスを感じてしまっていたのですが。
この、自力ではどうしようもない状態での経営不振には、そんな反省点など見当たる筈もなく。
それ程気にせずに済むのです。
そうして、時間の余裕が出来たのですが。
ただし、することがない。
唯一の趣味であった、中国旅行すらも出来なくなってしまっており。
日本・台湾双方での二週間もの隔離期間を考えれば、日本に一時帰国すら出来ない。
ホテルも閉鎖されているので、台湾内の旅行も勿論出来ない。
スポーツや音楽などのイベントもないし、デパートなどにも入りがたい。
巣ごもりをするしかありません。
電子書籍の時代になっていましたから、日本の本を大量に買うのですが。
中学高校時代ほど、読書に熱中することが出来ない。
より刺激ある娯楽に、より簡単にアクセス出来る時代になった為。
退屈に耐えられないADHDの僕が、活字ばかり追っているのは、それ程楽なことではなくなったのです。
そこで、その、より刺激ある娯楽――ゲームに手を出すのですが。
これとて、そこまではまることは出来ない。
四十を超えてしまうと、それらにも、余り熱中出来ない。
退屈を感じる以前に、操作方法を覚えたりするのが面倒だと感じてしまうのです。
動画を見るにしても。
既に日本を離れて二十年近く、一般の日本人から、感覚は大いにずれてしまっており。
しかも四十を超えた僕に、ぴったり合うような動画など存在する筈もなく。
やはり、何を見ていても、すぐに退屈を覚える。
やむを得ず。
簡単な本を読みつつ、単純なゲームをしつつ、動画を見る、という、時間の費やし方をするのですが。
全てが中途半端で、満足感も中途半端。
折角得られた余暇も、うまく過ごすことが出来ないままで。
その退屈さに、少しストレスを感じます。
ところが。
そんな僕に、想像も出来なかった話が、突然舞い込んでくるのです。
――犬を飼わないか、と。