宇宙にしみ入るゲロの音 【ADHDは荒野を目指す】
6-13.
台湾人女性と結婚し、台北に日本人向け進学塾を設立した僕は、ライバル塾による数々の妨害をもはねのけ、多くの社員や生徒を抱えるに至りました。
けれども、ADHDである僕には、会社運営などうまく出来ません。特に人事は壊滅的で、オフィス内にはギスギスした雰囲気が漂い、辞めて行く社員の多い。
その上、台湾人の妻とも関係がうまく行かず、結局離婚。
仕事も辛く、生活も潤いがない。
そんな毎日に疑問を抱きながらも、僕は必死に働き続けてきましたが。
ついに耐えきれなくなった僕は、友人の津村と共にネパールにトレッキングに出かけます。
けれども、長年の不摂生が祟ったのか、僕の体はすぐに悲鳴を上げる。
トレッキング開始早々、疲労困憊の状態でナムチェバザールなる街に到着した僕は、同行者の津村と分かれて、引き返そうと決意します。
けれども、このナムチェバザールは、小さな街ではあるものの、車道のない山奥にあるとは思えぬ程賑やかな場所で、色んなものが揃っています。
ヒマラヤを目指す多くの登山客が訪れる為でしょう。
この街で、ステーキを食べホットシャワーを浴び、お菓子を食べふかふかのベッドで眠ると、徐々に元気が戻ってきました。
さらに、活気ある街中を散歩し、丘に登ってエベレスト山頂を仰ぎ見ると――徐々に、前向きな気持ちになって来ます。
そして、冷静になって考えてみると。
ここで津村と別れるとなると、ポーターのジーベンは、当然登山を続ける津村について行くことになります。
僕は、自分で自分の荷物を運ばねばならないのです。
下りである分、かなり楽であるとはいえ――一日半もかけて登って来た道を、十キロ以上ある荷物を背負って下るというのは、相当にきつい。
しかも、一人きりで。
友人と共にゆっくり登山を続ける方が、肉体的にも精神的にも楽なのではないか。
それに、ここから先は過酷な道になるとはいえ、それは即ち、ここから先は凄まじい絶景が見られる、ということでもある。
それに対して、もし僕が台北に戻れば――また、あの仕事ばかりの日々に戻らなければならない。
H舎がなくなり多少息をつけるようになったとはいえ――他に特にしたいことなどないのです。どうせ僕は仕事をするでしょう。
そして、人間関係に苦しみ、ストレスをため続けるでしょう。
毎日毎日、教室と社長室、そして誰もいない自室の壁だけを見て過ごすだけになるでしょう。
――やっぱり、トレッキングを続けよう。
僕は簡単に翻意をしました。
そこから、本格的な山登りが始まります。
早朝起床、身を切るような寒さの中、寝袋を抜け出す。
震えながら朝食を取った後、薄明の中を歩き続ける。
太陽が昇るにつれて、少しずつ体が温まり始める。
八千メートルの峰々が、僕を取り囲む。
むき出しの山肌、光り輝く雪と氷、そして雲一つない空。
茶色と白、そして藍の三色で塗り分けられた世界の中を、ひたすらに歩く。
歩みの遅い僕は、どんどん遅れ始める。
津村は勿論のこと、二人分の荷物を背負い、彼女にメールを打ちながら歩くポーターのジーベンにも、あっという間に引き離される。
そして、何度も追い抜かれる。
他のトレッカー達や、荷物を背負ったヤクの群れや、巨大な荷物を背負ったシェルパ族や、学校に向かう小学生などに。
時折爆音が聞こえる。
怪我をしたり、高山病を発症したりして、動けなくなったトレッカー達を救出するために出動した、ヘリコプターの発する音。
昼頃に次の集落に辿り着き、僕達は食堂で簡単な食事をとる。
そこからまた歩き続ける。
午後四時前、ようやく目的地の集落に到着。
宿に入るとすぐ寝袋に包まる――眠るためではなく、ただ寒さをしのぐ為に。
夕方に寝袋から這い出て、震えながら食堂に行く。
酷く騒がしい時がある――ロシア人たちが、標高四千メートルで誕生日パーティーを始めたため。
彼らはウォッカを飲み、歌い、踊り、ウォッカを飲む。
その脇で、僕と津村とジーベンは黙々と食事を終わらせる。
食後、歯を磨きながら外に出て、空を見上げる――無数に散らばる星。
静寂、荒野、星々。
――宇宙にいるみたいだ、と津村は言います。
突然、足元から響く奇怪な音――高地でウォッカを飲み過ぎたロシア人たちが、胃の中の物を吐き出す音。
シャワーなど浴びずに、また寝袋に潜り込む。
嘔吐の音を聞きながら眠りにつく。
そして翌朝、凄まじい冷気の中、寝袋から抜けだす。
朝食をとって外に出ると――地上には嘔吐物だらけ。
やがてヘリコプターの爆音――二日酔いで動けなくなったロシア人たちを、山から下ろすため。
その騒ぎを背後に、僕達はまた薄明の中を歩き始める。
そんな日が、何日も何日も続きます。
歩いているか、食事をしているか、寝袋に包まっているか――それだけの日々です。
単調なものが最も苦手なのが、ADHDです。
そしてそれは、完璧に単調な日々です。
それなのに僕は、そのヒマラヤにて、退屈を感じることはありませんでした。
十数年前の、チベット旅の時と同じです。
ただただ前に進み続ける以外には、何も考える必要がない状況。
途轍もなく壮大で、けれども恐ろしく単純な風景。
過酷な荒野の中ではあっても、僕を助けてくれる仲間がいるお陰で、安心して旅できる。
ちょっとしたことで気が散ってしまい、些細な事で悩んでしまうADHDである僕にとって、こんな世界は、本当に素晴らしい場所なのです。
気を散らすものもなければ、深く考え過ぎる必要もない、それでいて、ただ眺めているだけで感動を与えてくれる、その壮大な世界は。
心地よい疲労を感じながら、僕はただ山を登り続けます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?