不法就労からようやく抜け出したADHD 【ADHDは荒野を目指す】
7-37.
台北に住んで十数年の僕は、長く経営した日本人子女向け学習塾や、そこで貯めた三千万円以上のお金を、元妻リーファの家族であり、名義上の台湾人オーナーであるフォンチュと、その娘イーティンによって、奪い取られてしまいます。
会社を取り戻すことは諦めたものの、時間をかけてお金だけでも取り戻そうと決めた僕は、台北での生活の立て直しをするべく奔走を始めます。
お金もないまま家を追い出される、スマートフォンは使用できなくなる、大手塾に雇用されたのにすぐに解雇される、就労ビザのない状態で仕事をしている時に政府の調査員に踏み込まれる等、様々なトラブルに遭いながらも、どうにか全てを切り抜け。
日本語が流暢な弁護士・章弁護士と契約、フォンチュ・イーティンを刑事告訴。
微妙な案件であるため、起訴不起訴の決め手がなく、検察の取り調べが延々と続きますが、手ごたえは悪くない状態で推移します。
そんな中。
日本の大手塾・K学園の台湾支社長だった、芝本という日本人男性が、K学園の台湾撤退を機に、台北に新しい日本人子女向け塾を作り、僕を雇用してくれることに。
無事に教室も完成、授業がスタートしますが。
手続きに時間がかかってしまい、塾の営業許可が中々下りない。
正式に登記が済んでいる塾でなければ、社員に就労ビザが出せません。
つまり僕は、就労ビザなしでの仕事、つまり不法就労状態を続けてしまうことになっており。
いつ摘発されるかと思うと、不安感や罪悪感が拭えません。
その上、芝本との相性も非常に良くない。
思い通りの仕事も出来ず、鬱々と日々を過ごしていました。
しかしそんな中。
章弁護士から、事務所を通して申請すれば、本来なら申請資格を満たしておらず入手できない筈の『永久居留証』、つまり永住権を獲得できるかもしれない、と言われる。
永住権があれば、会社に所属しなくとも、労働許可が出ます。
そうなれば、芝本の下につかずに、自由に仕事が出来ます。
その言葉に希望を託して、僕はその永久居留証申請を、弁護士に依頼します。
台湾政府にとっても、永久居留証は気軽に発行できるものではない為。
その審査には、三か月ほどかかると聞かされていました。
その発行日、つまり不法就労者という状態が終わる日を心待ちにしていたある日。
ビザ関係全般を扱う役所・移民局から、電話がかかってくるのです。
――あなたは、犯罪歴がありますね。
――これでは、永久居留証を発行は出来ません。
そんな言葉を聞かされた僕は。
唖然とすると共に――ひどくショックを受けます。
確かに、僕は犯罪をしたことがあります。
幼いころ、本屋で万引きをしたことがあるし。
親のお金を盗んだこともあるし。
大人になってからは、その頃の反省から、そういう悪事は一切しない人間になりましたが。
それでも、違法行為は行っており。
外国人が侵入してはならない、中国の『非開放地区』に無許可で入り込み、摘発されたことや。
パスポートも持たずに――盗まれたのですが――ザンビアという国に入ったこともある。
そして、台湾で商売を始めてからは。
経理が勝手にやったことであるとはいえ、脱税をしてしまったこともあるし。
何より、今現在、不法就労をしているのです。
――とはいえ。
その全て、摘発されていない等の理由で、『前科』にはなりません。
台湾に移住する際、日本の警察署で、指紋などを取って貰った結果、日本の『無犯罪証明書』を発行してもらっている。
そしてこの永久居留証を申請する際には、台湾の警察署に行って、台湾の『良民証』、つまり無犯罪証明書を得ている。
だから、一切問題はない。
そう思っていたのに。
何故移民局は、僕に犯罪歴があると言うのか。
驚いて聞き直します。
移民局の男性は言います。
――移民局のデータでは、あなたは、刑事告訴をされたことがある、と記録されています。
え?
僕は戸惑います。
今確かに刑事告訴をしていますが、僕は被害者の方、告訴をおこした方です。
データが間違っているのではないか?
そう思った上で、ようやく思い出します。
もう十年以上前、ライバル社であるH舎から、『塾の備品や教材を盗んだ』として僕は警察に訴えられたことがありました。
そう誤解されても仕方のない要素はありましたが、とはいえ、勿論実際にはやっていないことで。
H舎からのただの嫌がらせでしかなく。
警察もそれが分かっていたらしく、取り調べも形だけ。
検察の取り調べも、一回きり。
あっという間に、嫌疑不十分により不起訴、という結論が出たのです。
今僕が告訴している案件などは、検事取り調べが既に五回、告訴より八か月ほどが経過しても、まだ起訴か不起訴かも決まっていない。
それと比べると、十年前のその事件は、本当にどうでもよいような物であったのは確かです。
ところが。
その件があるから、永久居留証は発行出来ない、と電話口の役人は言うのです。
流石にそれはおかしい。
起訴された訳でもない、ただ嫌がらせで訴えられただけで、そんな罰を受けるなんて。
僕は急いで、事情を説明しようとしますが。
電話口で、中国語で、そんな内容をきっちり伝える能力などある筈もなく。
かつ、何か誤解を招いては良くない。
そう判断した僕は、章弁護士の電話番号を告げ、詳しくは彼に話してくれ、とお願いをします。
その日のうちに、章弁護士から連絡が入りました。
やはり、ただ刑事告訴をされただけでは、永久居留証の資格は失われない、と章弁護士は説明をします。
不起訴であることを証明すれば、永久居留証の審査は再開される、と言います。
とはいえ、移民局のデータベースに記録されているのは、僕が刑事告訴をされた、という事実だけ。
それが不起訴に終わったというデータは、法務局にあるものであり、それに移民局はアクセスできない。
――だから、べんしゃんさん自身が、不起訴の証明書を入手し、提出しなければなりません。
章弁護士は説明します。
――今から私が、不起訴の証明書を申請する旨の文書を作って、べいしゃんさんに送ります。
――べいしゃんさんはそれをプリントアウトし、いつもの裁判所に行って、身分証と共に、窓口でそれを渡すだけでOKです。
――恐らく一週間ほどで、不起訴の証明書は発行されるでしょう。
――それをすぐに私の事務所に送って下さい。
――そうすれば、大丈夫ですよ。
章弁護士はテキパキとそう言った後。
――台湾は縦割り行政ですから。
――役所同士の横の連携は全然出来ていません。
そう愚痴をこぼしますが。
僕は大いに安心します。
もし僕が、自力で永久居留証を申請しようとしていたら、どれだけ大変だったろう?
現在正式に在職中ではない、というだけで、申請を拒絶された恐れがある。
そこはごねることで何とかなったとしても、この、「不起訴を証明する」手続きに至っては、独力で出来たかどうか、かなり怪しい。
可能だったとしても、かなりの時間と労力がかかった筈です。
僕はADHDです。
そういう、大変な作業そのものは、決して嫌いではありません。
勿論、単純作業は無理ですが。
それが、他人が殆どやったことのないような、未知のことであるならば、むしろ普通の人よりも耐える力は強いようで。
チベット旅や台湾起業などの、かなり大変なことを、苦しみながらもどうにかやりきることは出来ました。
けれども、四十を過ぎた今。
そういう大変な作業に、多少魅力を感じなくはないのですが。
残念ながら、仕事や訴訟を抱えながらそれをやるだけの、体力精神力の余裕がない。
こうなってくると。
やはり、弁護士などの、専門家に動いてもらう方が効率が良いし。
そのためには、お金を稼ぐのが重要だ。
四十を過ぎて、ようやく僕はそんなことを実感します。
かくして。
多少の頓挫はありましたが。
その一か月後、僕は無事に、永久居留証を手にします。
自分の会社を失ってから、一年近く。
不法就労で摘発されることを恐れながら、息をひそめて仕事してきた日々が、終わり。
ビザの為に、そりの合わない上司に、無理に合わせて仕事をしなければならない日々も終わり。
僕はついに、自由に生きる権利を、取り戻したのです。
――ここから、再スタートだ。
四十を過ぎているくせに。
永久居留証を握りしめた僕は、来るべき新しい日々に向けて、強く興奮していたのでした。
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