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弁護士にも手抜きをされるADHD 【ADHDは荒野を目指す】
8-11.
台北にて日本人向け学習塾を開業した僕は、十年近くの間、順調に黒字を上げ続けます。
しかし、名義上の会社オーナーに据えていた、台湾人の元妻・リーファ、その母親・フォンチュや、妹・イーティンなどの裏切りに遭い、三千万円を超える資産と、会社の権利を奪われてしまう。
その上、住居や携帯電話、就労ビザなど、生活に必要なあらゆるものも奪われてしまいますが。
それでも、親からの借金を元手に、どうにか生活を立て直し。
紆余曲折の末、再度自分の塾を創設。
人事面で苦労はしますが、どうにか収益を上げられるレベルにまで持って行きます。
その一方で、日本語の流暢な弁護士・章弁護士に力を借りて、フォンチュ・イーティンを刑事告訴、さらに民事訴訟も起こす。
しかし、刑事でも民事でもうまく行かない。
弁護士費用がかさむだけで、全てが不利に進んで行くことになります。
この状況に、僕は焦りを覚えますが。
それで何かをする訳ではない。
むしろ、証拠の確保の為に、積極的に動かなければならないのに、僕はそれをしない。
逃げ癖のあるADHDである僕は。
憂鬱な裁判のことを、意識から外してしまい、色々なことを放置したままにしてしまいます。
章弁護士にも、殆ど連絡をしなくなってしまったのです。
そして僕がそのような態度を取っていた為。
章弁護士の方も、徐々にやる気をなくして行ったのでしょう。
そうして、章弁護士もあからさまに手抜きを始め。
刑事では、検察の取り調べに同行をしてくれなくなり。
民事では、口頭弁論の内容の報告もしてくれない。
そして気付いた時には、敗色濃厚な情勢になっていたのです。
遅まきながらそれに気付いた僕は、さらに慌て、今度こそ何とかしなければ、と思うのですが。
章弁護士の手抜きをすぐにでもやめさせなければ、と思うのですが。
僕には、何も出来ません。
僕はひどく多忙で、お金の余裕もない、外国人なのです。
台湾の弁護士を相手取り、うまく交渉することなど出来ない。
せいぜい、文句をつけるぐらいのことしか出来ない。
けれども。
電話もメールも、返事をするのは、アシスタントの曹弁護士だけ。
中国語しか出来ない彼との会話は、思ったような物にならない。
最早、明らかでした。
僕は、章弁護士に、完全に見捨てられたのです。
恐らく――章弁護士は、思ったのでしょう。
最早、勝利の可能性はない。
そして、既に弁護士費用は貰っている。
今から頑張ろうが、恐らく敗北するだろう――つまり、成功報酬が貰えないという状況は、変えようがない。
頑張っても頑張らなくても同じ結果なら、頑張る必要はない。
それに、べいしゃんなどは、何の影響力も発言力もない、ただの零細企業のオヤジ。
幾ら恨まれようが、痛くも痒くもない。
だから、あいつのことは無視してやれ、と。
余りにうがった見方かも知れませんが。
僕にはもう、そうとしか思えませんでした。
――今日も所長は不在です。
何度目かも分からない、そんな曹弁護士の電話口での言葉を聞きながら、僕は、章弁護士に対して、強い怒りを覚えます。
――それでも。
そんな感情も、数日後には殆どなくなっていました。
僕はもう、二十年近く、外国で暮らして来たのです。
家族がいた時代もありますが、殆どの時間、独力で生きて来たのです。
アフリカのザンビアにて、強盗に全財産を奪われた上に、入国管理官にそれを訴え出ると、逮捕を宣告された――そんな経験だってしているのです。
理不尽なことは、慣れきっている。
いや。
外国で起こることを理不尽だと感じるのは、僕が、日本の常識を『理』だと思ってしまっているから。
でも、それぞれの土地には、それぞれの『理』がある。
大きな組織に属してもいない、まともな人脈もない、金持ちでもない、そして頭も良くない一匹の外国人が、食い物にされてしまう。
それが、弱肉強食であるこの台湾社会の、『理』なのでしょう。
どうしようもない。
僕は頭を切り替えます。
とにかく、諦めるしかない、と僕は思います。
勿論それは、お金を取り返すことを諦めた、という訳ではありません。
台湾の裁判制度は、日本の制度同様、三審制、つまり三度裁判を受けることが出来るのです。
このまま地方裁判所で失敗しても、次の高等裁判所でやり返せばよいだけ。
今度は、ちゃんとした弁護士を雇えば良い。
そう、考えを切り替えることにしたのです。
「ちゃんとした弁護士」の心当たりは、勿論ありません。
とはいえ。
最初に章弁護士に相談に行った際は、僕には仕事もお金もなかった。
しかも、証拠を隠滅させないためにも、出来るだけ早く訴える必要があった――時間もなかった。
小さな事務所であることが不安ではありましたが、日本語が流暢で、頭の良い、その章弁護士に託す以外の選択肢はなかった。
けれども今は、僕には会社があり、収入があり、通訳をしてくれる事務員のクオもいるのです。
もっと大きな事務所に属する、もっと良い評判の弁護士を探せばいい。
幸い、まだ第一審の途中。
第二審が始まるまで、まだまだ時間があります。
そう思った僕は、事務のクオに、横領等に詳しい弁護士を探すよう、依頼します。
同時に、手付かずだった裁判資料にも、目を通し。
僕の主張をまとめる作業に入ります。
そうして。
僕は、初戦の敗北を覚悟しながらも、いち早く、次の戦いに向けて、仕切り直そうとしたのです。
今度こそ本気で、フォンチュやイーティンから、全てを取り返してやる、と。
――けれども。
結局。
その『次の戦い』は、やって来ませんでした。
第一審の判決が出る、その直前に。
僕の戦いは、突然、終わってしまったのです――一本の電話のために。
それは、日本に過ごす、母からの物で。
彼女は、電話口で、静かに言ったのです。
――父さんが亡くなった、と。