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裁判でも手抜きをしてしまうADHD 【ADHDは荒野を目指す】
8-10.
台北にて日本人向け学習塾を開業した僕は、十年近くの間、順調に黒字を上げ続けます。
しかし、会社の名義上のオーナーに据えていた、台湾人の元妻・リーファ、その母親・フォンチュや、妹・イーティンなどの裏切りに遭い、三千万円を超える資産と、会社の権利を奪われてしまう。
その上、住居や携帯電話、就労ビザなど、生活に必要なあらゆるものも奪われてしまいますが。
それでも、親からの借金を元手に、どうにか生活を立て直し。
紆余曲折の末、再度自分の塾を創設。
人事面で苦労はしますが、どうにか収益を上げられるレベルにまで持って行きます。
一方で、日本語の流暢な弁護士・章弁護士に力を借りて、フォンチュ・イーティンを刑事告訴。
しかし、刑事でも民事でもうまく行かない。
フォンチュを名義上の代表にしていたのは、台湾にはかつて、『外国人は塾のオーナーになれない』という法律があったためでしかなく。
その会社は、僕が全ての資金を出して設立し。
僕が唯一の管理職として、週休ゼロ日で働いていた場所。
それなのに、僕のそういう行動の証拠は、会社を奪い僕を追い出したフォンチュ側に全て握られており。
何も持たない僕は、それに対抗する手段がないのです。
弁護士費用がかさむだけで、全てが不利に進んで行きます。
このまま、何も取り返せずに――むしろ、弁護士費用や裁判費用で、大赤字のままで終わるのではないか。
そういう不安が、日を増すごとに強くなって行きます。
そして、ついにある日。
刑事告訴の、結果が送達されます。
――証拠不十分で、不起訴とする。
その文面を見た途端、僕は怒りに駆られてそれを投げ捨てますが。
でも、どうしようもない。
まだ終わったわけではありません。
民事裁判は続いていますし。
刑事に関しても、まだ敗者復活戦がある。
再議申し立てというのが出来るのです。
より上級の検察に、もう一度審議をしてくれ、とお願いが出来るのです。
そこで、判断が変わる可能性がある。
章弁護士からそう聞かされた僕は、一も二もなく、その手続きを進めて貰います――また、お金を使って。
一方。
民事訴訟の方も順調ではない。
給与未払いを、僕は主張しているのですが。
それに対して、敵側はどんどん新しい資料を出してくるのです。
中でも大きいのは、僕が持っていた、会社名義のクレジットカードの使用履歴。
数年間のその履歴全てが、僕への給与にあたるものだと主張するのです。
僕の部屋の家賃や、食費、私用の書籍やゲーム代、エベレストトレッキングの代金等に関しては、確かに僕の給与と計算されることも、理解出来ます。
イーティンへのお土産として何度も購入していた、日本のブランド物のバッグの代金や。
イーティンが彼氏と出かけた日本旅行の全旅費――僕がプレゼントしてあげたため、そのカードから支払っていた――まで。
僕への給与として計上されているのも――なんて恥知らずなんだと怒りは覚えますが――仕方がない。
しかし。
日本出張の際の往復航空券代、ホテル代や。
毎年大量に購入していた、日本の塾用教材、模試に至るまで。
どう考えても、会社の経費であるまで、敵側は、全て給与だとして提出して来るのです。
それに対して。
僕には、それらが、給与でなく、仕事の為の出費であることを、証明する必要が生じます。
けれども、これは非常に煩雑なことでした。
お金の支払先の多くは、『小学館』『四谷大塚』『日能研』等、日本の教育関連の会社名が記載されています。
日本の裁判所であれば、それらが塾の為の出費であることをすぐに理解して貰えるでしょうが。
台湾の裁判所では、そうは行かない。
如何に日本語が流暢な章弁護士だって、それらの会社については勿論知らない。
何度か雇用した日本語通訳だって。
会社の事務をしている日本語ペラペラのクオだって。
教育関連の出版社の名前なんて、一つも知らない。
どう考えても、僕自身が、それらの出費が、仕事のためのものであることを示さねばならないのです。
膨大な数の使用履歴の中から、一つ一つを。
それでも、僕は一旦それを試みようとしますが。
――すぐに、挫折をしてしまいます。
退屈な作業を最も忌み嫌う、ADHDなのです。
しかも、創設したてで、社員の三人しかいない小さな会社を経営しているのです。
何千万円ものお金が――言い換えれば、僕の運命がかかっている、大事な作業であることは分かっているのに。
僕はついつい、それらから目を背け。
仕事の方に意識を向けてしまう。
その上。
やらなければならないその作業を、僕がしていないことを分かっているのに。
章弁護士の方からは、何も言ってこない。
だから僕は、ますますそれらから逃げてしまう。
どうしようもなく、ADHDなのです。
――そして。
数か月が経ったある日、突然、章弁護士からメールが来るのです。
――既に三回の口頭弁論が行われましたが、どうも形勢不利です。
――次で判決が出ることとなります。
――添付の文書が、こちらが提出出来る最後の意見書になります、訂正あったらよろしくお願いします。
僕は愕然とします。
口頭弁論とは、裁判官の前で、原告被告が意見を述べ合う、重要なもので。
一回目の口頭弁論が、数か月前に開かれたのは知っている。
けれども、刑事と違い、民事裁判は、被告も原告も、当人が出廷する必要はありません。
しかも、法律用語のまざった中国語など、僕には聞き取れません。
仕事もある。
だから僕は、その口頭弁論へは出席をしていませんでしたが。
思い返せば、その第一回口頭弁論がどういうものであったかの、報告も受けていない。
十年以上前、僕が訴えられた時に雇用した陳弁護士は、必ず毎回、詳細な報告書を送って来たのに。
その後の、二回目、三回目の口頭弁論に至っては。
僕は、それが開かれていたことさえ知らなかった。
これに関しては――裁判所からの通知を、僕がちゃんと読んでいなかったせいもあるでしょう。
何せ、裁判中は、ひっきりなしに次々書類が送られてくるのです。
台湾人弁護士を雇用している上に、面倒なことが大嫌いなADHDの僕が、中国語で書かれたそれら一つ一つにしっかり目を通す筈もない。
でも、その二回目、三回目の口頭弁論があることが無論のこと。
そこでなされたやりとりについての、章弁護士からの報告は、一切ありませんでした。
その結果。
僕は、それが行われていることすら、知らないままでいたのです。
何千万円ものお金がかかった――僕の運命を決めると言っても過言でないその裁判は、僕の全く知らないところで、勝手に進行されていたのです。
こんなことになった理由は、明らかでした。
僕が、あからさまな手抜きを始めたがために。
弁護士の方も、手抜きを始めているのです。
僕は頭を抱えます。