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自分らしく入れないことの不都合。
自分らしくいれないことの不都合。
私はどーーも、「自分らしさでいる」事にこだわりがあるんですよねーー。
自分らしくいる=自分を好きでいること
なんなんだろう。
他人にも、それを強要する節がある。(スタッフや、パートナーにも。
しかもさ、自分らしさなんて、誰にもわかんないじゃん。
自分らしくいれないと、何か不都合があったのだろうか。。。
ちょっと深掘りたいと思います。
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そもそも、自分らしさって何?
1・行動に制限がかからないこと。
2・自由
3・自分を素敵と思えること
と、私は考えております。
自分らしさって千差万別なのである。
一口には語れない。誰かを思いやることが自分らしいかもだし、わがまま放題するのが自分らしさかもだし、そこに、相手がこう思うからこうしようってゆう制限がなければ、自分らしいのではないかと考える。
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自分らしくない行動とは?
例えば、相手に嫌われたくないから、”本当は”そう思っていないけど、こんなふうに対応してみよう。とか。
恋愛で例えると、
彼氏に嫌われたくないから、共感してもないのに共感しているふりをするとか。
彼氏に嫌われたくないから、気を遣って、会いたい時に会わないようにするとか。
いやほんとは会いたいでしょ?会えるように頑張るのがあなたでしょう?
もう会わない!とか言ってすぐ会いに行ってみたりするとか。
思ってることと、言ってることと、やってることが違うやん。。。。
ああ。。。スッゲーざわざわする。。。
不愉快極まりないのである。
自分でしているのに。。
ってゆー感じかしら。
(まあ、ケースバイケースはあるとは思うんだけれども)
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どうして、自分らしくない行動に走ってしまうのか?
自分らしくいることで、否定された経験があるから。
苦しかった記憶があるから。
↓どんな苦しさかとゆうと。。↓
母親に、自分らしさを謎に植え付けれられてしまって、(母に悪気は一切なく、ただただ、いい子に育って欲しいとの願いなのもわかっている。愛情たっぷりなのがこれまた厄介である。。。
「あなたらしさはこうだよね!」
って言われて、
「お、おん!!私ってそうゆう子なんだよね!!
お母さんがそうゆう子が好きなんだね!私、そんなんだよ!!(きらりん」
と、振る舞い続けて、もう、私のセルフイメージは「お母さんの理想の私」になっているのである。(4歳くらいではないかと思われる
しかし、どこかのタイミングで、んん??私、なんか、そうじゃない私もいるけど。。。あれ??やばくね?
って気づき出して、うおお。。私は、「お母さんの理想の私」になろうとしているし、なれないと嫌われるし、存在価値がないとまで思っている。
いやおい。。自分らしくなんて、全然ないじゃないか!!ただの言いなりではないか!!ぬおーーー(遅れてきた反抗期
「お母さんの理想の私」をはみ出たりすると、「ええ!!けいちゃん!そんなことするの??お母さん悲しい!」
今の私なら知るか!って一蹴できるのですが、小さき私は、お母さんに愛されたい一心で「お、おん。。ごめんなさい。。。」と、
「お母さんの理想の私」に戻ろうとする。
これが、自分らしくない行動に走っている根源なのである。
私の中の、「自分らしい私」でいると、相手に嫌われてしまうから、「自分らしい私」でいてはいけない。
平たくゆうと、嫌われたくないから、相手の好みに合わせているだけなのである。
演じるとゆうことは、行動に制限がかかること
道を外れたことをしてはいけないとゆうこと。
私の中で不都合な状態。すんげーー動きにくいんだよなあ、、もう、いちいち相手の顔色窺っちゃうし。。。
決めつけられて行動するのって、めっちゃいやじゃないですか?
あ、そうか。。。私は、どこまでも自由でいたいだけなんだ。。。
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自分らしく入れないことよりも、自由に振る舞えないことがつらかった。
私らしい私も、お母さんの理想の私も、
ゆうなれば、演じてようが、演じてなかろうが、私は私なのである。
「本当の私」なんて、結局いないのである。
結局、どんな自分も、私なのである。
行動に制限がかかること。
本当はやりたいけれど、行動する前に、いったん、歯止めがかかってしまうこと。
それがねーーー嫌なんです。
自分がしたいことを、相手にもしてしまう。
私は、自分がどこまでも自由でいたいから、相手にも自由を求めるのです。
ありのままでいてほしい。
私が喜ぶようなことしないでほしい。
私が喜ぶことがあなたの喜びなのかもしれないんだけれど、
私にとってはそれは全くのおもてなしでもなく、
本当のあなたはそこにいるの?
私みたいに疲れてしまわないでね?
ってゆう気遣いとゆうか。。心配が入ってしまうのである。
自分らしく入れないことの不都合は、ありのままの自分を好きでいてくれないってこと。
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だけど、昨日、気づきがありました。
自分らしく入れないことの違和感を覚えるとゆうことは、自分らしく入れた記憶があるとゆうこと。
私は、思っているよりも、自分らしく生きてこれたのかも知れない。
私は私自身に、ただ、素直じゃなかっただけなのかな?
みんなちゃんとしているから、私もちゃんとしないといけない。
自分らしくいてはいけない。
楽しそうにしてはいけない。
演じないといけない。
しっかり、考えないといけない。
ほんとは私は、とってもシンプルなのにな。笑
好きだからする。
楽しいから楽しむ。
嫌いなことはしない。
いつの間にやら、複雑怪奇に生きてきている。笑
一人コントである。
私は、私。このまんまでいいや。