自己否定と承認欲求〜私が文を書く理由〜
10年ほど自分と向き合う中で、わたしは「尋常じゃなく自己肯定感が低く、尋常じゃなく承認欲求が強い」ということに気付いた。
人間、生きてれば多かれ少なかれ自己肯定感が低くなったり、承認欲求が高まることはあると思うが、私の場合はこれがDNAに刻み込まれてるレベルで、あらゆる行動の前提として機能してしまうのでいけない。
これでもだいぶ改善されてきた方だが、まだまだである。なんせDNAに刻み込まれてる。
これはもう、育ってきた環境云々だけではなく、前世から持ち越してるもんも半分くらいあると思う。多分「働きを認めてもらえないと、死に直結する」ような過去世を何度も繰り返しているんだろう。
何度も「あ・かるい!」(by.岡野玲子『ファンシィダンス』)人間になろうとしたけど、それは非常に難しかった。
今のスタンスとしては、自己否定や承認欲求とはうまいこと共存していくことにしている。
それらに絡め取られそうになったら、「いや、しかし」と、客観的な視点を持つようにする。そのために有用なツールが、こういった文章の発信である。
私は小さな頃から国語が得意で、小学校中学校と、国語に関しては全く勉強をしなくてもテストで100点が取れるような人だった。
別に自慢とかではなくて、「だって、問題の中に答えが書いてあるじゃん。チートだチート」という感覚だったので、逆に間違え方がよく分からなかった。
(一方で、数学と社会はてんでダメだった)
これこそ、後天的な要因というより、持って生まれた資質なのだと思う。
過去世で文学でもやってたんだろうな。
後天的要因としては、ドラマや映画が好きだった。
ゲームも好きだったけど、ゲームそのものというよりも、主にRPGのストーリーを追うのが好きだった。
自身が演劇をやっていたこともあり、台本を読む機会も多かったし、舞台もよく見に行った。
つまり創作物全般好きだった。
(余談だが、演劇にハマる私に父親は「俺は絵空事が嫌いだ」と言い放った。びっくりした。そんな人がいるんだー、と思った。当時は自分を否定されたようでショックを受けた。でも考えてみれば、父は落語が好きなので「それこそ絵空事では?」と思う。人の発言は、往々にして理屈が通っていないのだから、その度に真に受けてたらいかんのだなという教訓でもある)
本を読むのは元々はそんなに得意ではなかったけれど、中学の時にイケオジの国語教師とどうにか接点を持ちたくて、授業中に先生が薦めてた『アルケミスト』を貸してもらったことがある。
返却時に、ちょっと皮肉めいた感想を伝えたら「ほう!君はそう読むのですね!」と面白がってもらえて、嬉しかった。
その辺から、読書にはハマったと思う。
高校は中退してるのでなんとも言えんが、大学は文学部国文学科に進んだ。ゼミも近代文学専攻だったので、課題図書としてたくさんの本を読んだ。
この頃が一番本を読んでいた。
村上春樹さんや伊坂幸太郎さん、井上夢人さんの本が好きだった。
あとは、もともと母がミステリーやSFをよく読む人だったので、私も影響を受けた。
岡嶋二人『クラインの壺』や、貴志祐介『クリムゾンの迷宮』、殊能将之『ハサミ男』など、イヤ〜な気持ちになるようなミステリーを好んでいっぱい読んだ。
その流れで湊かなえさんの本も大体読んだ。
今でも、いちばん積極的に読むのはミステリーかSFである。
あとは、これまた母が漫画好きで、実家には萩尾望都さんや大島弓子さんという「24年組」の漫画が数多くあり、それをよく読んでいたので、良質で詩的な表現に触れる機会が多かったように思う。
何が言いたいって、要は語彙が多いのだ。
だから、自分のモヤモヤした感情を言葉で表現ができる。
これが非常にありがたいことだった。
言葉で表現することで、一種の作品にしてしまえば、自分と感情には距離が生まれる。
それを読むことで、客観的になれる。
時期を変えて読むたびに、追体験もできる。
その度に、新しい感想が生まれる。
そんなことを繰り返すうちに、私のモヤモヤした気持ちは昇華されていく。
このプロセスが好き。
というか、このプロセスを経ないと、前向きに生きることが難しい性質で、すぐさま闇落ちしてしまう。
私にとって、文を書くことは、朝の洗顔や歯磨きと同じように、自分のメンテナンスのために必要不可欠なことなのだと思う。
生きていくために必要なことなので、基本的には自分のために書いている。
だけど、これでいて色々な経験をしているので、そういった過去の経験含め私の感じ方考え方が、誰かの心を救ったりすることがあれば嬉しいな、とも考えている。
「誰か」とは、過去の私でも良い。時空を超えて、この想いが、小さくて弱かった私に届けばいいなと思う。
そんな気持ちでいつも文を書いています。
別に、「誰かを救う」なんて大それたことを成し遂げられなくたって、「なんかこの人気が合いそうだな」とか「ダラダラ読むのにはいいな」とか、そう思ってもらえたら、それだけでも嬉しいのです。
だから読んでくださるあなたには、心からの感謝と愛を。いつもありがとうございます。