手抜き洗車でも、ピカッと輝きを保持
思い起こせばコイン洗車場と自分はいったい何十年位の付き合いになるのかと考えてみた。初めての愛車は二十歳の時貯金して貯めたお金30万円強を握りしめて訪れた中古車屋さんで、値切りまくり拝み倒しで手に入れたセドリック330 今にしてみれば、機関・内装等決して程度の良い車ではなかったと思う。結局2年目車検のタイミングで手放した。だけどあの時確かに僕が中学生の頃から青春のバイブルとして崇めた映画アメリカングラフィティーの世界へと僕を誘ってくれる車だった。愛車を手に入れた二十歳の同時期親に無理を言って あらためて専門学校へ入学させて貰った。学費と仕送りで親の脛をかじる身としては、せめて車の維持費位は何とか自分で賄おうと日々アルバイトに励んでいた。正直維持するのがやっとで、いわゆるマブイ車にする改造費等は捻出できなかった。そんな自分を慰めるかの様にホリデーオート【自分は最終的にCARBOYへとシフトした。】を眺めてはヒロレーシングのエアロを組む事を夢をみていた。あまり好きでは無いレッテル貼りの言葉に 若者の〇○離れと耳にするが、話が逸れてばかりで申し訳ありませんが、かくいう私も散々『最近の若い奴は』と言われ続けその都度猛反発を繰り広げて来ました。本のタイトル等覚えて無いのですが、江戸時代の書物の中にも『最近の若い奴は』との記述があるので遠い昔の若者から未来の若者も『最近の若い奴は』と言われ続けるのだから、なにも気に病む事はありません的な事が書いてある本を読んだ覚えがある。それを読んで大いに笑ったし気持ちが楽に為った事を今でも覚えています。話を本題に戻すと、その代名詞である若者の自動車離れを実感した出来事ですが、私より若い世代の方達と車の話をしていて糸タイヤとの表現を使った際に糸タイヤなんて使わないし、そもそも糸タイヤなんて言葉の意味が分からないと言われた。その時の衝撃にも似た思いは、かってヤングに矢沢永吉さんて誰ですかと言われた時とリンクした。糸タイヤとはいわゆる、その車の純正タイヤを意味していて昔の若者は、取り敢えず車を購入したならタイヤとホイールを社外品に替える事が第一歩みたいな風潮でした。ですから当時の憧れのサイズ225/50R 17inを履いている方達に周りは『わたなべ8とアドバンの組み合わせか、やるなー』とか『鈴鹿でも走るのか』と冷やかしていたものです。そういう理由から、どノーマル車に乗ってた私は仲間内から糸タイヤ糸タイヤとからかわれました。ただ初老となった私ですが、車のタイヤ幅はやはり太い方が、かっこいいと今も信じて疑わない。今ではミニバン・SUVにおされて不人気車となったセダンタイプですが当時より車体も大柄になりましたからそれに伴い、245/40R19inこれ位のサイズを基準にチュ―ンしていけば、一層マブくなるかと思います。そしてあくまでも個人的感想ですけど、余りに大きなホイールと超扁平タイヤは車体とのバランス上 客観的にみてどーなのかなーと思う時があります。特にSUVで『ありやっ、馬車の車輪か』みたいなお車を極稀にお見掛け致しますが、みな様は如何お考えでしょうか。人様の車をとやかく言うなとか、『お前の記事も含めて』そんなの興味無しみたいな意見が大多数な予感がしますがそれも又、逃げずに受けとめます。
【本題:洗車に対して】
洗車の件ですが、手抜き洗車でもピカッと輝きを保持これは、こまめに洗車するに尽きると思います。パトカーとタクシーが代表 お手本ではないでしょうか。日夜街を駆け抜ける両車輌は勤務後必ず、反対番の為に給油と洗車をして申し送るとの事です。1年365日 粛々と執り行われていると想像します。
V8エンジンがむき出し 死ぬ程憧れた ジョン・ミルナーの愛車
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