食い尽くし系が気になりすぎて〜精神科医が考察してみた
こんにちは、精神科医のはぐりんです。
ご訪問いただきありがとうございます。
「食い尽くし系」という言葉がSNSでよく聞かれるようになりました。
何だかワードチョイスが絶妙で、リアルな様子をよく表していて頭から離れなくなってしまったので、せっかくなので色々と考察してみました。
「聞いたことがない」という方もいるでしょうから簡単に説明すると、
食い尽くし系とは中華料理などを取り分けて食べる際に人数分以上に度を超えて食べてしまったり、
家庭では子供の分まで食べてしまう、あるいは職場のお土産のお菓子などもたくさん食べたり持って帰ってしまうタイプの人たちのことを言うようです。
(広義には冷蔵庫の中にあるものや家中の食べ物を片っ端から食べるパターンも含めるようなのですが、今回は主に会食の場で)
少なからずどこかで聞くような話しですし、白状すると私も先日ギョウザを多めに食べて妻に注意された口です。
ただこれが度を越す、あるいは積もり積もると不満が爆発してしまい、
SNS上で、特に妻から夫に対しての不満を頻繁に目にします。
本人に直接注意できない、あるいは注意したところで変わらない、という点がSNSが不満の捌け口になっている理由でしょう。
こういった食い尽くし系の方たちを無理やり精神科の診断に当てはめるとしたらなんだろう?と随分と考えてみたのですが、一つ考えられるのは、
ASD(発達障害)+NPD(自己愛性パーソナリティ障害)の「傾向」(グレーゾーンも含む)がある人たちかと思います。
ASDの傾向がある方たちは、食事の際に、その場の雰囲気とか会話というよりは、どちらかというと食べる事を重視しているためパッと食べてしまうのでしょう(食事は文字通り食べる事、字義どおりの解釈)。
また、中途半端に残っているのが気になってしまいついキレイに平らげたくなってしまう、というのもあるでしょう(こだわりや感覚過敏、特性のある子供がきっちりと車のオモチャを並べるのと同じ)。
それと、一緒に食事を共にしている人も食べたがっている、お互い最後の一個を牽制し合う、というのが理解できず、ただただ残っているから食べてしまうのかもしれません(共感性の欠如)。
NPD傾向の方たちは、「当然自分が食べるもの」というのが、口では否定していたとしても無意識下にあるのでしょう。
NPDは性格の問題ですから、性格は先天的な気質と後天的な環境要因が合わさって形成されたものです。
家庭の場では夫である自分が食べる権利があると潜在的には思っていて、またそういう環境で育ってきていて、逆に上司との会席などではちゃんと食い尽くさずに残しているのかもしれません。
実際に私の職場にいる食い尽くし系の医師は、やはり普段からASDとNPDの特性を併せ持っています。
ついでに言うと、職場の公共の場に飲みかけのペットボトルを置いていく系、でもあります。誰かが片付けてくれる(べき)と思っているのでしょう。
そういえば子供の残り物を食べようとすると、子供から身を挺して取られまいと威嚇されます。
食べ物の恨みは恐ろしい、とはよく言ったもので、人間の最も生理的な欲求の一つですから(マズローの欲求5段階)、
生理的なレベルで嫌がる子供の反応が食い尽くし系への世間の反応をよく表しているのかもしれません。
今回は食い尽くし系について、あくまで仮説というか、こういう傾向の方たちなのかな
と勝手に解釈してみました。もしかすると、ただ単に卑しいだけ、というのもあるでしょう。
私も含めた食い尽くし系の方々、この機会に手や箸を伸ばすのをグッと堪えてみましょう。
その分食卓の場で何か違ったものが見えたり聞こえたり、新しい発見があるかもしれません。
※現代ビジネス(講談社)に食い尽くし系について執筆させていただきました。もしよろしければご覧ください。