写真 1
年末の大掃除をしていた。
押し入れの中の荷物を全て出し、不用品とまだ使えそうな物を分けていた。
ボロボロになった昔の古い紙箱が出てきた。
確か、昔贈答用の毛布が入った箱だったと思う。
開けてみると大量の写真が出てきた。
そういえば、実家を手放す時にこの箱に一切合切写真を放り込んだ記憶がある。
まったく整理されていないが、歳を取った時に思い出の整理をしながら懐かしもうと考えていた。
あれから数十年経ち、結構な歳になったが、思い出や写真を懐かしんでいられる程のゆとりは無かった。
明日をどう過ごしたら良いのか分からないその日暮らしだった。
貯金も仕事も無い。
唯一息子に寄生するようにして生きるしかない能無し。
それが今の自分だった。
ずっとそうだったか?と言えばそんな事も無い。
それなりに夢も希望もあったし努力だってしてきた。
そんなに悪い事ばかりだった訳でもない。
どこでどう間違ったのか。
離婚を切り出された時からだっただろうか。
いや、先に離婚を伝えたのは私だった。
だが、それは却下され夫婦仲も改善されていくのだろうと浅はかな想いでいた。
それから数年経ち、いきなり離婚を言い渡されたのだった。
思い出したくもない。
だが、その日から私の経済はどんどん落ち込み、妻であったから生きてこられたんだと身に染みて知ることになった。
そもそもパート以外の働き方をした事が無かった。
お金を生み出す能力も無かった。
自分の小遣いしか稼いだ事か無かった。
甘ちゃんだったのだと打ちのめされた。
一端の大人のつもりだったが、高校生や大学生並の働き方しか出来なかったのだった。
誰かの庇護の元に居たからこそ大人で居られただけだった。
結局、社会人となった息子達のおかげで今も生きていられる。
パートしか出来ない惨めな自分の僅かな尊厳を「母親役」をする事で保てている。
惨めな役に立たないおばさんを
息子達が今でも「お母さん」の場所に居させてくれる。
女性の社会進出なんて言っても、私には結局パートくらいしか出来なくて、誰かに何らかの役目を貰ってやっとこ体裁を保てているようなモンだ。
思い出すと惨めになる。
自分が約立たずで死んだ方がマシなのでは無いかと思ってしまう。
だが、死ぬのも怖い。
苦しいのだろうなと思う。
生きている今でさえ時折苦しいのに、そこに更に苦しみを加えたくは無い。
笑って幸せに死ねるのなら良いけれど。
15年前の事を思い出すと嫌な気分になるだけだった