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眩い輝きを放った「黄金世代」が日本サッカー界にもたらしたもの
「僕ら79年組が残してきたものは、サッカー界(の発展)につながっていると思います。45歳になった選手が『黄金世代』と言ってもらえることは本当に有難い話です。彼らがいたから、これだけ長くできたと思いますし、刺激し合いながらやることができました」
12月4日の引退会見で稲本潤一(南葛SC)がしみじみと語ったように、彼ら1979年生まれの「黄金世代」が世界への扉をこじ開け、日本のレベルアップの原動力になったことは紛れもない事実。その“最後の砦”と位置づけられた男がユニホームを脱いだことで、1つの時代の終焉を迎えたと言っていいだろう。
黄金世代の存在が広く知られるきっかけとなったのが、99年ワールドユース(現U-20W杯)である。小野伸二、高原直泰、本山雅志、小笠原満男、中田浩二、遠藤保仁ら錚々たる面々が準優勝という偉業を達成し、世界を震撼させたのだ。
その時点で日本代表とシドニー五輪代表を兼務していたフィリップ・トルシエ監督も、「彼らの才能は素晴らしい」と絶賛。わざわざ自分からU-20日本代表監督兼務を願い出たほど、彼らを寵愛していた。79年組の多くを2002年日韓W杯メンバーへと押し上げたことも周知の事実だ。
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振り返ると、2002年W杯メンバーの5人が79年組。肺血栓塞栓症で大舞台を棒に振った高原も、本来ならメンバーに名を連ねていたはずだった。2006年ドイツW杯に至っては、高原、遠藤、加地亮、坪井慶介を含めた8人が選出。中村俊輔らシドニー五輪世代という枠組みで言えば、両大会ともに13〜14人と大多数を占めていた。この世代がどれだけ頭抜けた才能集団だったかを今、改めて再認識させられることだろう。
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結果の方はドイツW杯こそグループステージで敗退したが、日韓W杯では史上初のベスト16入りを果たし、2000年・2004年のアジアカップで連覇。日本代表の躍進にも大きく貢献した。
「彼らならもっと上のレベルまで行けたはず」と見る向きも根強かったが、98年フランス大会でW杯初出場したばかりの新興国が大きな飛躍を遂げたのは間違いない。小野や稲本らが果たした役割は非常に大きかったのだ。
もう1つ、黄金世代の足跡で特筆すべきなのが、日本人選手の欧州挑戦の流れを加速させたこと。
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