あなたが死ぬその日まで
じいちゃんが死んだ。80歳。
日本人でいえば平均寿命だろう。
およそ半年前のことである。
家族の死に触れたことのない私にとって、初めての故人である。
じいちゃんは母方の祖父だ。愛称がじいちゃん。
近所に住んでいたこともあり、ことあるごとに遊びに行っていた。
じいちゃんは決して口数が多い人でも無ければ、ベタベタと愛情をあらわにする人でもなかった。
余計なことは言わないけれど、ただそばにいてくれる。そして話を聞いて笑ったり、時々怒ったりする人だった。
未だに目尻にシワの寄った柔らかい笑い顔を思い出す。
じいちゃんは口を開けたまま逝去してしまったけれど、綺麗になって戻った時は薄く笑っていた。
口を開けてニッと笑う祖父の顔ではなく、薄く閉じられた唇に違和感を感じた。
真っ白だった体に色が戻って、いつも釣りに行くお気に入りの服を着て戻ってきたじいちゃんは眠っているみたいだった。
その違和感のせいなのか、私はポカンとしてしまって泣けなかった。
祖母は静かに涙を落として、母は声をあげていた。
普段全く泣かない父がそっと目元を拭っていた。
弟はじいちゃんが大好きだった。
習い事の多かった私のせいでよく祖父母に預けられていたからだ。
アクティブな性格故か、色々な場所に連れて行ってもらっていた。
弟は顔を見せないよう背を向けていたけれど、肩を震わせていた。
グッと固く握られた拳が白く変色して、あとから母の手を引いたその掌に爪の跡が残っていた。
私だけが泣けなかった。
医者が来た時も葬儀屋に引き取られる時も、ずっと泣けなかった。動揺した。
人が死ぬことなんて当たり前だと思っていたから。
生まれて死ぬから人なのだと、そう思っていた。
でもいざ目の当たりにしてしまえばそんな格好つけたクサい考えは消えてなくなってしまったのだ。
ただただ息苦しかった。
早くこの場が終わっていつも通りに戻ればいいのにと、それだけを考え続けた。
私が泣いてはいけないとも思った。
せめてもと次々に訪れる来客に頭を下げ続けた。
それくらいしかできないのだから仕方がない。
場を和ませようと明るい話を試みたけれど脳天気な私の話は母の逆鱗に触れた。
結局私はその場の温度をさらに下げることしかできなかったのである。
不甲斐ないというよりも動揺に尽きる。
ただそれだけの空間がそこにあった。
じいちゃんが死んだ日の夜、自室で家族と離れてからようやく涙が出てきた。
不思議なほど涙が止まらなかった。
もう話しをすることもなければ手を握り返して貰うこともない。
忙しさを理由に会いに行かなかった私を母は責めた。
けれど、責められて当然だと思った。
認めたくはないけれど会いに行かなかったのは紛れもない事実だ。
じいちゃんとの最後の会話は下らなくて、ただ笑って欲しくてじいちゃんに買っていったアイスをねだって母にたしなめられた。
会話自体はほとんど相槌のようなもので、衰弱したじいちゃんはほとんど喋れなかった。
それでも「食べるかい?」と弱々しく聞くじいちゃんが私には居た堪れなかった。
ただ、ずっと塞ぎ込んでいたじいちゃんが笑ってくれたのがとても嬉しかったのを覚えている。
その頃はもうずっと寝たきりで、たまたま車椅子で起き上がれた日に会えたのも嬉しかった。
縁起でもないと思いながら、それでもなんだかもうすぐ死んでしまうみたいで、なんとか笑わせようととぼけてみたりした。
衰弱したじいちゃんはあまりにも嘘のようで私は目を逸らすばかりだった。
生きている時に最後に見たのがその時の笑い顔だ。
私はその顔がいつまでも忘れられないでいる。
人はいつか死ぬのだから悔いのないように、とは言うけれど後悔なんてしてもし足りない。
私の感じた身近な人の死は、それだけ重たかった。
それなのにこうして日記の話題にあげてしまう馬鹿な孫娘をどうか許して欲しい。