じいじの葬式で人間の良いところをもっと知りたいと思った。
社会人で営業課の自分は、仕事で手一杯だった。将来が不安だったから目の前の仕事にひたすら向かっていたのかもしれない。そんなとき、母から祖父の悲報を聞いた。
じいじの死に顔
じいじが2024年2月10日土曜日の今朝死んだ。享年82歳だった。
突然の悲報だったが、半年前から「もう長くない」ということを母が言っていたので、割りきっていた。
亡くなったじいじの顔を見て、愕然とした。筋肉が痩せ細り、皮が目立った悲壮な顔は瞼を閉じることができず、眼を開けたままだった。パーキンソン病から始まって日に日に衰えていることは知っていたが社会人になってから一度も会っていなかったので頭にゴーンと金槌で殴られたような衝撃が来て五月蝿かった。
親族交流と葬式参列
葬式に参列すると従兄弟の家族だけでなく、初めましての人もたくさんいた。ぎこちない挨拶をしたあとに告別式が始まる。お通夜も暗いムードだったが、葬式はピリッとした緊張が張りつめていた。
それだけしか感じることができなかった。
小さい頃からじいじと一緒にいて、たくさん遊んでもらって可愛がってもらっていた。他の従兄弟の写真より自分のほうが写っている写真が多かったほどだ。キャッチボールしたり、おもちゃを作って遊んだり、ボードゲームをしたりして毎日楽しい思い出を作ってくれたじいじ。そんなじいじは天国に行ってしまった。最期を見届けられないまま逝ってしまった。私は社会人として会社で働く日々にいるうちに悲しい顔と嬉しい顔を忘れてしまっていた。感情に麻痺毒が回ってしまっていた。
なんでもっと、人生について考えて来なかったんだろう。
火葬場で骨になった祖父を見て驚いた。足と胸の骨が原型を保ったまま残っていたのだ。人は高温にさらされると1時間で簡単に骨に還るのだという当たり前を突きつけられた。
パキッパキッと採骨される音が私の心を揺さぶった。そして瓶に骨が収まったとき、私は自分が鈍感で非情な人間になったいたことに気づいた。触れないと体で理解できず、体験しないと小さな幸せを通り過ぎようとする脳みそに仕上がっていた。じいじが一緒に遊ぼうと誘ってくれてもツンケンしたまま断ってのらりくらりした。社会人になった今もまだ残っている感情にとてつもなく嫌気が差した。そして思った。
何でもっと親しい人をもっと知ろうと思わなかったのだろう。自分の手のひらにじいじの骨があるのを見て、人生はあっという間なんだと痛感した。
人の心を知る旅路
そうして、告別式が終わり、自宅に帰るときに「葬送のフリーレン」のフリーレンが仲間と別れるときの気持ちが理解できた。人に何かを伝えられないというのは、こんなにも虚しく惨めな思いになるのだと。そして此のまま何もせずに終わっても良いのかという焦燥が私の心に生まれた。
そうした気持ちのなかスマホをいじっていたときに葬送のフリーレンのCM動画が出てきた。最後に「…さぁ行こうか。人の心を知る旅路へ。」というセリフが私の空虚な心に強く響いた。人を大切にしよう。これからはコミュ障ということを理由にせず、冷たい態度をとらず、多く関わっていこうと。そして毎日残業している自分の体も大切にしようと。
最後にこの言葉を借りて、終わりとする。
「さぁ行こうか。人の心を知る旅路へ。」
おわり