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「残業」している人は、会社に貢献しているのか?
「残業」ざんぎょう。
それは働く人にとってのバワーワードだろう。なら残業は正義か敵なのか。
20代ピチピチな脳みそが正常運転している今だからこそ考えたい。
残業=追試のイメージが強くこびりついてる現代社会
追試はみんな嫌だ。
暴力的な時間搾取、難易度高めな問題、冷たい視線。これが学校の追試だ。
ただ会社で働くとどうなるか。
それは2パターンある。
1、上司の残した仕事に巻き込まれる
2、計画的にやっているので、ドットくる疲れ方はしない。
1については多く語らないことにする。
私が強く云いたいのは2だ。
計画的に進めているのだが、それは自分な仕事量と1日の時間の帳尻があってないだけで、嫌々やっているとは違う感情なのだ。
私も残業するときはあるが、それはその日やらないと事態が前進しないとき、明日なら余裕をもってできるタスクがあるからだ。
つまり、残業とは見直したいところ、振り返りたい部分、やり残した仕事を達成するためのカバー部分なのだ。
残業は正義ではない、現代人の代謝
付き合わされる残業と計画的残業があるが、
クリエイティブな仕事をしている人にとって事務処理は嫌な仕事だ。
事務処理をすると、思考回路が画一的になってしまい、お客様に「◯◯のこと言おう!」と革新的アイデアを思い出したとしても時間と共に忘れてしまうのだ。私は商社の営業マンだが、時間の貴重さは常々感じる。
そういう意味で事務処理ネットワークサービスはマジで神。早く作業が終わるので、気が楽になる。
現代っ子の持つ数少ない弱点はデータにないことが起こったときの対処法に乏しいことだ。
つまり、危機的状況になっても調べる余裕があるという謎マインドによって、次善の策が打ちづらい頭になってしまっているのだ。
私も2014年まではガラケー、それからスマホになるという分岐点を中学三年生で味わっているが、スマホを持った一年間は堕落した廃人そのものだった。
会社で働いていて思うのは時間のいい使い方を学生時代から研究して、スッキリした1日を過ごせば良かったということだ。
残業という言葉。それはこれからも社会問題のトップに居続けるだろう。
おわり
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