
ももちゃんの挑戦
ももちゃんたちが進めてきたカディプロジェクト
糸紡ぎ就労支援事業がインドのブッタガヤで始まりました。新し就労支援施設の建設と糸紡ぎ訓練の事業が始まりました。
カデイとは、インド独立の父と呼ばれるマハトマガンジーが提唱したインドの伝統的に作られていた手紡ぎ、手織りの布のこと。ガンジーはこのカディを伝統的産業として育成して残そうとしました。カデイは柔らかく、肌触りも人肌に近い感触の布です。この布がインドの人の手で丁寧に織られていることに感動しました。
「もう帰って来ないんでしょ、、」青年海外協力隊の一員として訪れたブッタガヤの地で、派遣期間が終わり帰国しようとした日に、現地の子供に言われた一言がももちゃんの心に刺さりました。この土地に関わり続けたいと。彼女がインドに関わろうとした出発点でした。
私が彼女に会ったのは、正確には彼女の扱う布に会ったのは、彼女の姉夫妻の工房に立ち寄った時のこと。京襖の技をベースに新しい表現に取り組む工房で、ももちゃんのインドで扱う布を見たのです。
滋賀の永源寺の山にある工房の縁側に、籐のかごに何気なく入れられていた布に興味を持って、「この布は、なんですか?」と聞いたところ、お姉さんが「妹が扱っている布なんです」。ここからももちゃんとの付き合いが始まりました。
ちょうどその時、ももちゃんは日本に帰ってきて資金を貯めて、インドに関わる準備が進み、インドで織られた布を日本に紹介する事業を始めようとしてたばかりの頃でした。インドへのボランティアの活動を進めるための、経済的な基盤を作ろうと奮闘してました。そんな話を聞いて、私の担当するギャラリーで展示会をしたらどうかと誘いました。お姉さんは喜んでくれて、すぐももちゃんに連絡を入れてくれました。そして彼女と会うことになったのです。
ももちゃんが関わっているのは、インドでも最貧地域と言われるブッダガヤ。日本ではお釈迦さまの生まれた地として名前が知られてますが、インドでは最も貧しい地域です。インドにまだまだ残るカースト制の影響もあり、女性の地位はかなり低い土地です。経済的に自立しないと貧困からも、人権的にも地位が向上しない現実がありました。そこで着目したのが、糸紬から手織りに至る布づくり。カディに代表される繊維の文化は、インドは長い歴史的な価値を伝えています。手織りの価値は今や世界的にも評価される作品です。布の日本での販売で資金を得て、その資金でブッダガヤの女性たちの就労支援を行うというボランティア事業のモデルを作ろうとしていました。
「頭の毛が全部抜けそうなくらい、大変でした」
百貨店で繊維を販売しようとなると、さまざまな基準に合わせたチェックをクリアしないといけません。品質管理基準をそれぞれの百貨店で作っています。私の勤務してた百貨店は、厳しいので有名なところでした。品質表示はもちろん、製品検査基準も多数の項目で基準が厳しく、クリアするために専門の検査機関の証明書が必要になってきます。後から聞くと日本で最初に販売会の開催に取り組んだのが、私の担当してたギャラリーでしたので、一番厳しいところからのスタートになってしまいました。
「ヤンキー魂で、時々、毒を吐きながらでも頑張ります」
彼女と出会って10年経ちました。年に2回の展示会で名古屋に会うのとは、別に
彼女の拠点のある近江八幡、その前は、京都の実家近く、展示販売会をしている土地など、いろんなところで会って話をしてました。学生の頃、茶髪で世間に反発していた頃から、今に至るまでの話を聞きながら、彼女の一途さと、強さを感じてきました。年の半分はインドに滞在して、インドで布探し、製品作りに奮闘して、日本に帰ってきては展示販売会で全国を駆け巡る生活が続きます。
インドではブッダガヤに行く時は、デリーから夜行電車に乗り継いで10時間、大きな荷物を持って移動してました。テレビでよく見るインドの列車風景、満員で押し合いへし合いしながらの移動です。その間に、インド各地を巡り、貴重な布の技と製品を発見して製品化していきます。ブロックプリント、さまざまな折り方の布、刺繍、カディもそうですが、インドの繊維の歴史はすごいと思います。インド人のテーラー職人も雇い、現地での生産体制を少しづつ築いていきました。
日本の展示販売会では、貴重な出会いがいっぱいありました。私が聞いたり出会ったりした範囲でも。思うんですが、「こころざしのある事業」は、規模の大小はあるにしても、その価値はお客様に伝わります。「気持ちの入っている作品」とも私は表現しているのですが、見ていると何か違います。ももちゃんの事業に賛同する人たち、応援する人たちは、作品を買うという「お客様」の枠を超えて広がっていったように思います。彼女の志を応援したいと事業を応援する気持ちに変わっていったと。ブッダガヤの就労施設建設にも、貴重な出会いから始まった縁が大きな力になったようです。
もう10年経ちました。初めて会った頃からの志を持ち続けて、最初の目標のブッダガヤの拠点を建設したところまで、その間の苦労に苦労を重ねた話を聞いてきました。10年経ったももちゃんは、なぜか10年前とそんなに変わっていません。度胸がついてきた感はありますが、事業にかける熱なのか、若々しいエネルギーを発散してます。「ヤンシー魂で、毒を吐きながらも頑張ります」。インスタで就労施設の建設完成セレモニーの報告の投稿を見た時に、感動してコメントしたことへのリアクションでした。
能登の震災で、苦境に立たされている輪島塗を復旧させようと踏ん張っているグループの代表のF氏とももちゃんと一緒に食事をしました。F 氏はももちゃんのファンになってしまいました。同じくももちゃんもF 氏に会えたことを喜んでいました。
最近、「こころざし」「気持ち」の大切さを改めて思います。
ももちゃん、おめでとう。あなたの一途な思いが、人を動かして、意義ある事業の出発を果たすことができたと思います。これからも、頑張ってください。
※ももちゃん(廣中桃子さん)の事業は、ニマイニタイという会社で行っています。下記のホームページをご参照ください。
https://nimai-nitai.jp/